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ガダルカナル島の戦いと太平洋戦争の戦跡(ソロモン諸島)

2023 9/06
目次

ガダルカナル島とは

ビル村博物館の野砲(撮影:ユーラシア旅行社)

ソロモン諸島最大の島であるガダルカナル島は、現代においても首都ホニアラが位置する同国の中心です。日本にとっては太平洋戦争の激戦地(1942年8月から約半年間)として知られ、戦時中はガダルカナル島を略して「ガ島」と呼び、その後の補給が絶たれる中で食糧不足から「餓島」と呼ばれたりもしました。日本兵は3万人中生きて帰れたのは1万人以下、亡くなった兵も戦死よりも病死・餓死が死因の大半を占めたと言われています。
その激戦の時から長い月日が流れても、日米が激しい戦火を交えた痕跡が今もなお、島の幅広い地域に残っています。

ガダルカナル島への行き方、アクセス

日本からの直行便はなく、パプアニューギニアのポートモレスビー、フィジーのナンディ、オーストラリアのブリスベン等を経由して行く事ができる場合もありますが、感染症流行前から航空便スケジュールは流動的であった為、渡航される際は各航空会社のサイトで最新情報をご確認ください。

ガダルカナル島の戦跡観光

ビル村博物館

米軍のF4Fワイルドキャット(撮影:ユーラシア旅行社)

首都ホニアラから海岸線に沿って西方へ約20km進んだところにある野外博物館。ガダルカナル島には、いくつか戦争関連の博物館がありますが、ここのコレクションが最も充実していると言っても過言ではないでしょう。比較的保存状態の良い航空機の他、高射砲、野砲等が点在しています。

零戦のエンジンとプロペラ部(撮影:ユーラシア旅行社)

日本平和公園

日本平和記念公園(撮影:ユーラシア旅行社)

激戦地アウステン山に建てられた平和記念公園と慰霊碑。ガダルカナル島における慰霊の中心地です。この地はガダルカナル島における戦いの末期まで日本軍が立てこもって戦い続けた場所で多くの命が失われました。
慰霊碑の奥からはホニアラ市街とソロモン海を眺める事ができます。

ギフ高地

ギフ高地の戦争遺物(撮影:ユーラシア旅行社)

アウステン山から程近い所に位置するギフ高地は激戦地の一つ。日米両軍の遺物も多数残されており、それが集められて展示している。兵器が多いビル村と比べてこちらは兵士の日常品が多いので、一人一人の個人が偲ばれる場所です。恐らく中身が満たされる事が少なかったであろう日本軍の飯盒を見ると、胸に迫る物があります。

ギフ高地の集められた飯盒(撮影:ユーラシア旅行社)

アメリカ戦争記念碑

アメリカ戦争記念碑(撮影:ユーラシア旅行社)

ホニアラに近い丘の上、主に米軍や連合国軍の兵士を慰霊する為に建てられた記念碑。日本軍ほどではなかったものの、米軍も約7000名の兵士が亡くなり、大きな被害を被りました。特にガダルカナルの戦いの序盤は日本軍に押し込まれる場面もありましたが、補給が確立され、物量に勝るようになると日本軍を劣勢に追い込みました。

一木支隊の碑

一木支隊の碑(撮影:ユーラシア旅行社)

ガダルカナル島における悲劇の始まりとも言えるのが戦いの始めに島に上陸し、誤情報もあって寡兵で装備も整った米軍の大軍に立ち向かい、ほぼ全滅させられた一木支隊です。特にイル河周辺で大きな被害を被り、最後は海岸線で殲滅されました。そのイル河の近くに一木支隊の碑が建っています。

川口支隊鎮魂碑

川口支隊鎮魂碑(撮影:ユーラシア旅行社)

ホニアラ市内からも程近い所には川口支隊の鎮魂碑が佇みます。一木支隊に続く第二陣としてガダルカナル島に上陸し、イル河からの正面攻撃を避けてジャングルの中から奇襲戦法を採用した川口支隊でしたが、ジャングルの中での行軍は難航し、攻撃は不発に終わりました。その後は補給不足に苦しみ、多くの将兵が亡くなりました。

鬼怒川丸

海岸近くに沈む鬼怒川丸(撮影:ユーラシア旅行社)

ガダルカナル島の兵站状況を受けて日本軍も様々な補給法に挑みました。しかしながら制空権を握られている為にそのほとんどが成功せず、接岸前、その直後に沈められてしまいました。輸送船としてガダルカナルを目指した鬼怒川丸もその一隻です。今も海岸からすぐのところに沈んでおり、干潮時には船体の上部が海上から見えるようになります。

タンベア

ガダルカナル島戦没者慰霊碑

大本営が凄惨を極めたガダルカナル島の戦いからの撤退を決めたのが1943年に入ってからでした。既に多くの将兵が死を迎えてしまっていたものの、玉砕は選ばなかったおかげで救われた命も多数ありました。しかし撤退も容易ではなく、その途中(そしてそれ以前)で倒れた兵士たちに対する慰霊碑が撤退地の一つ、ホニアラにもほど近いタンベアに建っています。

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