古代ローマの円形闘技場とは
古代ローマの円形闘技場とは、古代ローマ帝国時代に築かれた主に楕円形の闘技場。主に剣闘士や動物同士の闘技が行われていましたが、コンサート、演説、演劇等に利用される事もありました。闘技場によっては水を張って模擬海戦を行った例もあります。ショーの主役となる事が多かった剣闘士はグラディエーターと呼ばれ、主に奴隷や敵国の捕虜から構成されていました。
当初は宗教的意味合いもあって開催されていましたが、時代を経るに連れて大衆の歓心を買う道具と化し、そこで開催されるショーに人々は熱狂しました。今日におけるスポーツスタジアムの前身と言って間違いないでしょう。
いつかは訪れたい、古代ローマの円形闘技場10選
古代ローマ時代においてもとりわけ巨大な古代円形闘技場は、ランドマークとして当時から現代に至るまで人々の注目を浴び続けています。ここでは、かつて古代ローマ帝国領に建てられ、現代までその姿を残している絶対訪れたい古代円形闘技場10選をご紹介します。
コロッセオ(ローマ/イタリア)
建設:紀元後80年、推定収容人員:50000-80000人
ローマの中心部に建つ、言わずと知れた世界最大の円形闘技場。首都を代表する建造物として、ティトゥス帝によって5年前後の短い工期で紀元後80年に完成しました。完成直後に100日に渡る大興行が催され、さらにその後も時の皇帝や有力者が市民の歓心を買うために派手な興行が度々開催されました。
闘技が禁止になった後に建築資材として一部持ち去られ、何度か大きい地震に遭遇しながらも、今日までローマの中心にそびえ続ける驚異の建築です。
現在はアレーナ部分の床がなく、出場を控えた剣闘士や猛獣が控えていた地下部の構造をそのまま見る事が出来ます。
エル・ジェムの円形闘技場(チュニジア)
建設:紀元後238年頃、推定収容人員:35000人前後
北アフリカのチュニジア中部、スース近郊に建つのがエル・ジェムの古代円形闘技場です。小麦の生産で栄えたアフリカ属州の富がもたらせた見事な闘技場はアフリカ最大級で、保存状態が良いおかげで今もその偉容を保ち続けています。特に座席部の後ろの通路や飲食物を売るスタンドがあった場所、さらにアレーナ部分の床や剣闘士達が出場する手動エレベーターのような装置があった場所も残っています。
ニームの古代円形闘技場(フランス)
建設:紀元後70年頃、推定収容人員:25000人前後
南仏中央部に佇む古都ニームの中心に建つ古代円形闘技場。コロッセオと比べると低層ですが、近代まで要塞や住居として使われ続けていた為、保存状態は非常に良好で往時の姿を目の当たりにする事が出来ます。
近代に入ってから観客席部分やアレーナが再整備され、闘牛場として利用されています。この地で活躍したフランスの伝説的マタドール(闘牛士)クリスチャン・モンクキオールの像が古代円形闘技場の前に立っています。
ポンペイの古代円形闘技場(イタリア)
建設:紀元前70年、推定収容人員:12000-20000人
ポンペイの古代円形闘技場は、古代ローマの現存する円形闘技場の中でも最も古い物の一つに数えられます。外から入ると暗い廊下を通って内部の熱狂の中に出る事になり、自ずと観客の気分を盛り上げる建築になっています。ここでは紀元後59年、剣闘士たちの戦いを巡り、地元ポンペイ市民と仲が悪かった近郊のヌケリア市民同士の乱闘が始まり、エスカレートして死者を出す事態に至りました。その模様がポンペイで発見されたモザイクに(下記)克明に描かれています。この事件で開催者は罰せられ、10年間古代円形闘技場での催しが禁止されました。
プーラの古代円形闘技場(クロアチア)
建設:紀元後81年、推定収容人員:20000人前後
クロアチア北西部、イストラ半島の南端に位置するプーラは古代ローマ時代に栄えた港町でした。この地には紀元前から何度か円形闘技場が建てられましたが、現存する古代円形闘技場は、ローマのコロッセオとほぼ同じ時期に完成しました。建築様式も似ています。残念ながら内部の保存状態はそれ程よくないものの、現在でもクロアチアのシンボルの一つとして国民の誇りでもあります。
ヴェローナの古代円形闘技場(アレーナ)(イタリア)
建設:紀元後30年、推定収容人員:30000人前後
ロミオとジュリエットの街としても知られる北イタリアの古都ヴェローナ。古代ローマ帝国の中でも比較的古い由緒ある古代円形闘技場です。30000人を収容でき、派手な催し物もあったおかげで近隣都市からも観戦に人々が訪れたと言われています。
保存状態も非常に良い為、今日ではオペラやコンサートの会場としても利用され、特に夏のヴェローナ音楽祭はオペラ界を代表するイベントの一つとして知られています。
アルルの古代円形闘技場(フランス)
建設:紀元後90年、推定収容人員:20000人前後
ローマ帝国時代、ガリア属州の中心都市であったアルルは大きく発展し、首都ローマのコロッセオに倣って古代円形闘技場が築かれました。コロッセオ同様に連日の興行で大いに盛り上がったそうです。近郊のニームと同様に保存状態が良いのは、ローマ帝国崩壊以降、要塞化や住居化が進んだおかげと言われています。観客席部分にいくつもの塔、アレーナ部分に教会や家が立ち並ぶ18世紀頃の絵も残されています。
トリアーの古代円形闘技場(ドイツ)
建設:紀元後2世紀半ば、推定収容人員:20000人前後
現在のドイツ西部、モーゼル川沿いに佇むトリアーは、ドイツの中でも最も歴史の古い都市の一つ。古代ローマ帝国時代には北ヨーロッパ進出の拠点都市となり、大きく繁栄しました。その時代に古代円形闘技場も建設され、地中海で流行していた闘技、剣闘士や猛獣の試合がアルプスを越えて持ち込まれました。平地の独立した建物でなく、自然の傾斜も利用している為、今日でも当時のフォルムがそのまま見られます。
レプティス・マグナの古代円形闘技場(リビア)
建設:紀元後56年、推定収容人員:15000-20000人
レプティス・マグナは北アフリカ属州でも最も大きな都市の一つ。この都市遺跡の中心から少し外れた南東部の海岸線に近い所に築かれたのが古代円形闘技場です。当時の皇帝ネロに捧げられたという記録が残っています。地下部は埋まってしまっているものの、アレーナや観客席部分の保存状態は比較的よく、当時の姿に思いを馳せる事が出来ます。
メリダの古代円形闘技場(スペイン)
建設:紀元前8年、推定収容人員:15000人前後
スペイン西部の古都メリダは歴史古く、古代ローマ時代にはイベリア半島の中心都市でした。当時の栄光を物語る遺構も多く、古代劇場や水道橋と並ぶのが古代円形闘技場です。功労者である退役兵を入植させたこの街に劇場と合わせてエンターテイメントを充実させたいという初代皇帝アウグストゥスの思いもあったのかもしれません。残念ながら保存状態が良くなく崩れている部分も目立ちますが、スタンドの下層部やアレーナの上と地下の構造を見てとる事ができます。