絵画「ゲルニカ」とは、ゲルニカ村とは
バスクとビスカヤ県西部に位置するゲルニカは、オカ川が河口に注ぐ手前の谷間の要衝に位置し、中世より町が形成されました。その重要性から歴代の有力者がこのゲルニカの町の大木で宣誓の誓いを行う慣習が出来上がり、その後も脈々と受け継がれていきました。バスクやビスカヤ県の首府が西側の大都市ビルバオに定められた後もゲルニカの木は依然神聖視され、バスクの議事堂もゲルニカに置かれました。
1937年4月26日、そのゲルニカの町の名を世界に知らしめる悲劇が起こりました。フランコ将軍の依頼を受けたドイツ空軍の空爆により、町は瞬時に死と灰の町に変わり果てました。その模様は世界的にも伝えられ、大きな批判を巻き起こしました。パリ万国博覧会への出品を控えていたパブロ・ピカソもその一人です。怒りを込めて描いた大作が絵画『ゲルニカ』です。
ゲルニカへの行き方、アクセス
ゲルニカはバスクの中心都市で国際空港もあるビルバオからバスや電車でも行く事が出来、所要時間も40-50分程度です。少し急げばビルバオから半日で観光して帰ってくる事ができます。
ゲルニカのおすすめ観光
ゲルニカのレプリカ
町内の一角には、ピカソによる絵画『ゲルニカ』と同寸のレプリカが飾られています。後述のように現在絵画『ゲルニカ』のオリジナルはマドリッドで展示されていますが、ゲルニカの人々はオリジナルが町に来るのを強く願っています。
ゲルニカの木
神聖視され、歴代の議会が木の下で開かれたとされる『ゲルニカの木』。3代目の木はゲルニカの空爆を避けて生き残りました。そして現在の木は4代目です。紋章に刻まれるなど今もゲルニカやバスクにおける信仰の拠り所の一つになっている聖なる木です。
ゲルニカ議事堂
『ゲルニカの木』の横に建ち、1937年の空爆も潜り抜けた数少ない建造物の一つです。歴代有力者の肖像画を背に議員席が並び、重厚な姿を留めています。かつての周辺国やスペイン本国との間に少なからず軋轢を抱えて来たバスクがここでどんな事を議論していたのかと思うと、胸に迫る物があります。
その他のみどころ
詩人・音楽家として19世紀半ばに活躍したホセ・マリア・イパラギーレはバスク語で活躍し、彼が作った『ゲルニカの木』という曲は今のバスクの国歌になっています。その活躍を記念して像が建てられています。
特に月曜日の市が有名なゲルニカは、美食で知られるバスク料理の新鮮な素材がたくさん並ぶので、機会があれば覗いてみるのも良いでしょう。
絵画ゲルニカのオリジナルが飾られたソフィア王妃芸術センター(マドリッド)
ピカソの絵画『ゲルニカ』はパリ万博で公開された後、ヨーロッパを巡回しました。この絵の廃棄を狙うフランコ将軍がいるスペインに変換する事はできず、戦後はニューヨークのMOMAにて展示されていました。
フランコが亡くなって軍事政権が崩壊した後の1981年にスペインに返還され、今はソフィア王妃芸術センターでピカソの絵画『ゲルニカ』を見学する事ができます。
バスクの中心都市ビルバオのグッゲンハイム美術館、或いはゲルニカの町そのものに作品が帰る日はいずれ来るのかもしれませんが、この絵が残した平和へのメッセージは世界中に伝わり続ける事でしょう。