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ノルマン王朝とシチリアの都パレルモ(イタリア)

2022 3/07
目次

パレルモとは

パレルモの街並み(撮影:ユーラシア旅行社)

イタリアのシチリア州(シチリア島)の州都で最大の都市パレルモ。パレルモはギリシャ語で「すべてが港」を意味する「パノルムス」から派生した地名です。人口は68万人で、東は海に面し3方は山に囲まれています。
シチリア島は豊かな大地、温暖な気候、地中海の中央という位置のため、紀元前から多くの民族の羨望の的となり、「文明の十字路」といわれることもあります。イタリア人、ギリシア人、フェニキア人、アラブ人、ノルマン人、フランス人、スペイン人が次々とやってきました。そのため今日では、様々な民族によって手を加えられた混合様式の建物が多く残るもの魅力の一つです。
最も繁栄したのは12世紀頃のアラブ・ノルマン王朝の時代。「パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物及びモンレアーレ大聖堂、チェファルー大聖堂」はイスラムとビザンチンがキリスト教文化と融合された建築物の文化的豊かさ、高い芸術性などが認められたことから、2015年7月にイタリア51番目の世界文化遺産に登録されました。

※ノルマン様式:11世紀頃に発展したノルマン人による建築様式。外観の装飾は非常に少なく、要塞のような単純な石造りの重々しい雰囲気が特徴。
※アラブ=ノルマン様式:ノルマン様式とビザンチン、イスラムの文化が融合して作られた建築様式のこと。

パレルモへの行き方、アクセス

日本からの直行便はないため、ミラノやローマを始めとするヨーロッパ内都市で乗り継ぎパレルモに入るのが一般的です。
成田空港・関西空港~ミラノ・ローマ: 約12時間20分~12時間40分
ミラノ~パレルモ: 1時間30分~1時間45分
ローマ~パレルモ: 1時間~1時間10分

パレルモで見逃せないスポット6選

ノルマン王宮、パラティーナ礼拝堂(世界遺産)

ノルマン王宮(撮影:ユーラシア旅行社)

【ノルマン王宮】
11世紀にアラブ人が築いた城砦の上に、12世紀に入ってノルマン人が拡張、増改築してアラブ・ノルマン様式の王宮となりました。ホーエンシュタウゲン家の時代に隆盛を極めたものの放棄され、16世紀のアラゴン家によって再び手厚く改装されました。現在はシチリア州議会堂として使われています。
内部の3階は王家の居室部分でヘラクレスの間には「ヘラクレスの物語」の力強いフレスコ画が描かれています。ルッジェーロ王の間はルッジェーロ2世の為に息子グリエルモ1世が作らせた部屋で、狩りや寓話の世界のモザイクで埋め尽くされています。

パラティーナ礼拝堂天井部の装飾(撮影:ユーラシア旅行社)

【パラティーナ礼拝堂】
ノルマン王宮の2階には、ノルマン王国初代国王ルッジェーロ2世が12世紀に建て、聖ペテロに献堂したパラティーナ礼拝堂があります。アラブ・ノルマン様式の長さ32m、幅14.2mの小さな礼拝堂です。
外壁のモザイクは19世紀初頭のものですが、内部の壁や天井は12世紀の金のモザイク『創世記』や『キリストの生涯』、『聖ペテロと聖パオロの物語』が圧巻です。床のコズマーティ様式(イスラムとビザンチンの融合した様式)のモザイクやイスラム風の天井(鍾乳石模様)なども見逃せません。

モザイクが煌めくパラティーナ礼拝堂(撮影:ユーラシア旅行社)

パレルモ大聖堂

パレルモ大聖堂(撮影:ユーラシア旅行社)

4世紀に建てられたキリスト教会が、7世紀にヴァンダル人によって再建され、9世紀にはアラブ人にモスクとして改修、11世紀にノルマン人により再び教会として再建されました。さらに1169年に地震で崩壊するも、大司教グアルティエーロ・オッファミーリオの指揮により12世紀に再建。現在の建物はその後も度々増築や改築が行われていったため、混合様式となっています。アラブ=ノルマン様式のモザイク、天井やファサードは13~15世紀、17~18世紀のバロックの装飾、20世紀のステンドグラスなど、各時代の様式がひとつになっています。 
第一、第二礼拝堂には皇帝と王の霊廟があり、宝物庫では式典に用いられた聖具、金細工等のほか、コンスタンツァ2世の王冠を間近に見ることができます。

クアットロ・カンティ

クアットロ・カンティ(撮影:ユーラシア旅行社)

17世紀以降、旧市街の中心となった、四つ辻(十字路)のことです。
この十字路を形作るスペインバロック様式の4つの建物はその角を均等に、弧を描くように丸く切り取られた形になっており、各壁面に3段ずつの装飾がほどこされています。一番下には四季を表現した女性の噴水、2段目には歴代スペイン総督(カルロ5世、フィリッポ2世、3世、4世)、三段目には町の守護聖女クリスティーナ、ニンファ、オリーヴァ、アガタがそれぞれ見下ろしています。

プレトリア広場

プレトリア広場

クアットロ・カンティのすぐそばにある、巨大な噴水のある広場です。噴水は、カール5世の右腕として長年ナポリ総督を務めたドン・ペドロ・デ・ドレドが娘エレオノーラ(トスカーナ大公妃)の近くで余生を過ごそうと、トスカーナの別荘に置くためにフィレンチェの職人フランチェスコ・カミリアーニに制作させたものです。その死後に息子がパレルモに売りつけ、1570年代にこちらに移されました。噴水の周りには30以上の裸体彫刻が置かれています。

ベッリーニ広場~マルトラーナ教会とサン・カタルド教会~

プレトリア広場の裏手にある広場で、ノルマン時代の重要な教会が2つ並んでいます。この2つの教会は、2015年に登録された世界遺産群に含まれています。

マルトラーナ教会(撮影:ユーラシア旅行社)

【マルトラーナ教会(世界遺産)】
12世紀半ばにノルマンの初代シチリア国王ルッジェーロ2世の右腕として世に知られ、地中海を所狭しと航行した宰相アンティオキアのジョルジョによって建てられたため、海軍提督の聖母マリア教会と呼ばれていました。後にマルトラーナ修道院に接収され、現在の名前になりました。ファサードは16世紀のバロック式です。
内部の壁はまばゆいばかりに輝く金色のビザンチン様式のモザイクで覆われています。中央ドームには「全知全能の神キリスト」、その周りを天使や預言者、聖人などが取り囲む構図になっています。また、正面に向かって右の身廊の壁には当時の王ルッジェーロ2世がキリストから王冠を授けられている場面、左の身廊の壁には海軍提督ジョルジョが亀のようになって聖母マリアの足元にひざまずく構図となっており、傑作として名高くなっています。

サン・カタルド教会(撮影:ユーラシア旅行社)

【サン・カタルド教会(世界遺産)】
2代目の宰相バーリのマイオーネの屋敷内の礼拝堂として1160年頃に建てられましたが、今はこれだけが独立した小聖堂として残されています。3つの赤い丸屋根が特徴的で、この半円ドームにイスラム建築の特徴が表れており、イスラム人支配の影響を見ることができます。また、ファサードの窓が幾何学模様を映し出すように施された透かし窓になっている点が見どころです。

マッシモ劇場

中世の市壁とマクエダ門、付近の旧市街を撤去した後に1875年着工、1897年に完成した、新古典様式(ネオ・クラッシック)のオペラ劇場です。コンペに優勝したパレルモ出身の建築家フィリッポ・バジーレの設計により建てられました。「マッシモ」とは、イタリア語で「最大」という意味です。敷地面積においてはイタリア最大の劇場です。正面の階段は、ゴッドファーザーパート3のクライマックスでも登場するので見覚えのある方もいるかもしれません。

1897年に5月16日にジュゼッペ・ヴェルディの「ファルスタッフ」でこけら落としが行われ、その後1974年から23年間建物の修復のために閉鎖されていた時期もありますが、今もなおパレルモ市民自慢のオペラ座として在り続けています。
内部は5層のボックス席と最上階の桟敷を備えた大変豪華な造りで、木材を多用し、音響も抜群で、舞台は客席を同面積という奥行きがあり、オペラ上演の好条件が揃っています。

マッシモ劇場内部(撮影:ユーラシア旅行社)

パレルモ郊外の町モンレアーレの大聖堂(世界遺産)

モンレアーレの大聖堂(撮影:ユーラシア旅行社)

12世紀、小高い丘の中腹にノルマン王グリエルモ世によって当時のノルマン王宮の財と技術を駆使して建てられました。外観は要塞のようですが、内部はビザンチンモザイクがびっしり。モザイク表面積は6340㎡もあり、丸天井には幅13m、高さ7mの巨大なキリストの「パントクラトール」が描かれています。なんとその頭は4m、指の長さは1mも。その下には「玉座の聖母と諸天使」、その下に「十二使徒」、玉座の上の壁には「キリストに王冠を授かるグリエルモ2世」、「聖母に大聖堂をささげるグリエルモ2世」のモザイクがあり、圧倒されます。

モンレアーレ大聖堂の回廊(撮影:ユーラシア旅行社)

隣接する12世紀に建設された大聖堂付属のベネディクト派修道院の回廊も必見です。47m×47mの回廊に2本ひと組となった柱が228本あり、全て異なるデザインをしています。柱頭には、動物、植物、聖書の場面に加え、大聖堂を聖母マリアに捧げる王の姿もあります。椰子の木をモチーフにしたアラブ風の噴水が一角を占めています。

大聖堂を聖母子に献じる柱頭彫刻(撮影:ユーラシア旅行社)
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