トラキア人、トラキア文明とは?

古代の時代においてバルカン半島東部、現在のルーマニア南東部からブルガリア、ギリシャ北東部、トルコのヨーロッパ側に広がる地域がトラキアと呼ばれ、トラキア人が居住していました。その痕跡は4000年以上遡る事ができますが、本格的な国家と文明が誕生した最盛期は、6世紀頃アケメネス朝ペルシャの支配から解放された紀元前5世紀から1世紀頃でした。トラキア人の中で有力な部族であったオドリュサイ人達がトラキアを束ね、優秀な騎馬隊を送り出してアテネと同盟都市になり、ペルシャ戦争後にアテネとスパルタがギリシャの覇権をかけて戦ったペロポネソス戦争においてもアテネ側で参戦しました。一方ペロポネソス戦争やその他の内乱でギリシャの国力が衰えて古代マケドニアが台頭すると、隣接するトラキアは従属を余儀なくされ、以後少しずつ勢力が衰え、古代ローマの時代に入ると完全な属州の一つになります。


トラキア人は独自の文字を持たなかったためにその歴史はあまり知られていませんが、精巧な黄金加工技術を持っており、ブルガリア中部にある”王家の谷”とも呼ばれる古墳のような王墓が並ぶカザンラク近郊では数多くの黄金の品々が発掘されています。

カザンラクへの行き方、アクセス
カザンラクはブルガリア中央部に位置し、西側の首都ソフィアからは鉄道またはバスで約3時間。但し、トラキアの墳墓は街からも離れており、ブルガリアの地方部は英語が通じにくいのでツアーの利用をお勧めします。
トラキア人、トラキア文明の遺跡、出土品
テレス一世の黄金の仮面(マスク)

ギリシャがサラミス(前480年)、プラタイア(前479年)の戦いでアケメネス朝ペルシャの軍を打ち破ると、ペルシャ傘下におかれていたトラキアも開放されます。その時に登場したのがオドリュサイ人のテレス一世です。様々な部族が割拠していたトラキアをまとめ、国家として一方の雄に育て上げます。2004年、カザンラク近郊の墓から歴史的な黄金の仮面が発掘されました。発掘隊の服装が日本では想像できない格好ですが、その貴重な発見の映像がこちらです。(前半が発掘シーンです。)
このマスクこそがテレス一世の副葬品である事は間違いないと言われています。エジプトのツタンカーメンには及ばないものの、同じ文化圏でシュリーマンがミケーネ遺跡から発掘した通称”アガメムノンの黄金のマスク”と比べても金の仮面が厚くて表面も固く、世紀の発見と言われています。現在はソフィアの考古学博物館で展示されています。
カザンラクのトラキア墳墓と壁画

カザンラク近郊にある巨大なトラキア人墳墓は20世紀半ばに発見され、発掘すると貴重なトラキア人の壁画が姿を現しました。トラキア人の代名詞でもあった騎馬が描かれた壁画は紀元前4世紀頃のもので、その芸術性も非常に高く、1979年には世界遺産に登録されました。墳墓のオリジナルは保存上の理由で見学できませんが、忠実に再現されたレプリカのお墓でトラキア芸術を堪能する事が出来ます。


イスクラ博物館(カザンラク)

カザンラクの街には、周辺のトラキア人墳墓や史跡から発見された品々が展示されているイスクラ博物館があります。テレス一世の黄金の仮面を始め、貴重な発掘品はソフィアの考古学博物館に移動されたものもありますが、地元のこの博物館にもトラキアの栄光を今日に伝える展示品を見学する事が出来ます。




