ゾロアスター教とは?
ゾロアスター教は宗教家「ザラスシュトラ(ゾロアスター)」を開祖とし、一説では紀元前6〜7世紀に古代ペルシア(現在のイラン北東部)で成立したとされる宗教です。主な特徴として、他宗教でも見られる「救世主信仰」、善と悪の神からなる「二元論」、火・水・空気・土などの「自然崇拝」が挙げられます。また、特に火を神聖な象徴として崇拝していることから、別名で“拝火教”とも呼ばれています。
ゾロアスター教についてさらに詳しく解説
神や超越的な存在からの教え、つまり“啓示”に基づく宗教としては「世界最古」ともいわれるゾロアスター教。のちに世界的な広がりを見せる多くの宗教や、現代の思想にまで影響を与えてきました。
ゾロアスター教の簡単な歴史
ゾロアスター教は、紀元前7~6世紀頃に「原イラン多神教」の祭司であったザラスシュトラ・スピターマによって創設されたと考えられています。原イラン多神教や当時の他宗教との大きな違いは、現ゾロアスター教の最高神である「アフラ・マズダー」を創造主と捉えたことです。以降、様々な他宗教の影響下で、ゾロアスター教が形成されていきました。
紀元前6世紀、ペルシアに建設されたイラン人国家「アケメネス朝ペルシア」では、ゾロアスター教が王たちによって保護され発展していきます。紀元前4世紀には、アレクサンドロス大王によってアケメネス朝が滅ぼされ、ギリシア文化の浸透とヘレニズムの影響が強くなりますが、ゾロアスター教徒は根強くその信仰を続けました。
年月を経て、紀元後3世紀頃には「ササン朝ペルシア」の初代の王・アルダシール1世がゾロアスター教を国教化します。巨大な帝国の下で、次第にゾロアスター教の教義や祭祀も整備されていき、6世紀のササン朝の王・ホスロー1世の時には、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』も編纂されました。
その後7世紀になると、「イスラム教」の台頭によりゾロアスター教は衰退していきます。インドに逃れたゾロアスター教徒の一部は、「パールシー」と呼ばれて信仰を続け、また中国の唐では「祆教(けんきょう)」としてゾロアスター教信仰が続けられました。
善悪二元論と神々
ゾロアスター教の最大の特徴は「善悪二元論」と世界の「終末論」にあります。この世界は、最高神である「アフラ・マズダー」によって創造され、最高神が率いる善の神「スプンタ・マンユ」とその善神軍、そして悪の神「アンラ・マンユ(アーリマン)」とその悪神軍の争いの場であるとされています。その争いは、3000年もの間続いた後に“最後の審判”によって善神軍の勝利に終わり、世界は完璧で理想的な姿を取り戻すとされています。
ちなみに、日本の自動車メーカー「マツダ株式会社」の社名は、事実上の創業者である“松田”重次郎の姓と、ゾロアスター教の最高神アフラ・“マズダー”にちなんでいます。
教典『アヴェスター』
ゾロアスター教の聖典は、開祖・ザラスシュトラの言葉と彼の死後に叙述された部分からなる、全21巻の『アヴェスター(Avestā)』です。その内容は、善悪二元論の神学や神話、神々への讃歌、呪文などからなり、原典は「アヴェスター語」によって筆録されています。しかし現在は、過去のイスラム教徒の迫害により、その4分の1ほどしか残っていません。
ゾロアスター教の祭礼や葬儀
ゾロアスター教で最重要の儀式とされるのが、“感謝の儀式”とも呼ばれる「ジャシャン」です。この儀式の中で、最高神の象徴でもある「聖なる火」に対して生きていることの感謝の念を捧げます。
ゾロアスター教の礼拝は、信者以外が立入禁止である「拝火神殿」で行われます。信者は、礼拝所に入る前に手や顔を清め、「クスティ」と呼ばれる祈りの儀式を行った後、聖火の灰を顔に塗って火に祈りを捧げます。
ゾロアスター教の葬儀方法も特徴的です。ゾロアスター教の葬儀は「鳥葬(ちょうそう)」、または「風葬(ふうそう)」と呼ばれる方法によって行われます。この葬送では、遺体を埋納せずに屋外に放置し、風化や鳥がついばむなどの自然に任せます。
また特にゾロアスター教では、鳥葬を行う施設は「沈黙の塔(ダフマ)」と呼ばれており、近年までこの葬儀方法が続けられていましたが、死体をついばむハゲワシの減少や衛生面の問題により、電気式の火葬や土葬に置き換わってきています。
現在の信仰や信者数について
ゾロアスター教の信徒は全世界に約5万人(2019年)とされていますが、その信徒数は減少傾向にあります。信徒の数はインドが一番多く、その他イランやパキスタンだけでなくアゼルバイジャンや欧米でも少なからず信仰されています。イギリス出身のロックバンド「Queen」のボーカルであるフレディ・マーキュリーの両親もゾロアスター教徒であったことが、近年話題になりました。
現在も見ることができる!ゾロアスター教の神殿や関連施設4選
ゾロアスター教の礼拝施設や遺跡は、ササン朝時代の信仰の要所であったイラン・ヤズドを中心に、イラン国内やアゼルバイジャン、インドなどに広がっています。その中でも観光で訪れることのできるスポットを4つご紹介します。
ヤズドのゾロアスター教拝火神殿(ヤズド/イラン)
ヤズドの「ゾロアスター教拝火神殿」は、シャヒード・サードゥーギー空港(ヤズド空港)から約6kmのヤズド市内に位置し、ゾロアスター教の施設の中でも最も重要な場所の一つです。異教徒でも見学することができるこちらの神殿は、正面にある最高神アフラ・マズダーの装飾や、開祖・ザラスシュトラにより点火された1500年以上も燃え続けているとされる聖火が見どころです。
ヤズドの沈黙の塔(ヤズド/イラン)
ヤズド郊外にある「沈黙の塔」は、かつてゾロアスター教徒の遺体を葬る“鳥葬”が行われていた施設です。1930年代まで鳥葬が行われていましたが、鳥葬禁止令により現在は見学可能な跡地となっています。岩山の上に佇む高さ約3〜4mの巨大な塔は、登って内部に入ることができ、実際に使用されていた当時の面影を感じることができます。
タフテ・ソレイマーン(タカブ近郊/イラン)
イラン北西部のタカーブという町の近郊にある「タフテ・ソレイマーン(Takht-e Soleyman)」は、“ソロモンの王座”を意味しており、ゾロアスター教の聖地の遺跡です。ゾロアスター教を国教としていたササン朝の歴代の王たちが、タフテ・ソレイマーンで国家的な祭祀を行ってきたと考えられています。その価値から、2003年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。
バクーのアテシュギャーフ/拝火教寺院(バクー近郊/アゼルバイジャン)
バクーの「アテシュギャーフ(Atəşgah)」は、アゼルバイジャンの首都・バクー中心部から約20kmの場所に位置しているゾロアスター教の寺院跡です。アテシュギャーフとは、アゼルバイジャン語で「火の家」を意味しており、かつては寺院としてだけでなく隊商宿としても利用されていました。現在は、ゾロアスター教の儀式や文化を紹介する博物館となっています。