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一度は訪れたい、古代ギリシャ・ローマ劇場12選

2023 9/04
目次

古代劇場(半円形劇場)とは

古代ギリシャ劇場

アクロポリスの丘の斜面を利用したアテネのディオニソス劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

紀元前6-5世紀頃、ポリス(都市国家)が発展したギリシャにおいて、神々に捧げる演劇が生まれ、上演の為の施設として劇場が誕生しました。特にアテナイ(アテネ)においてディオニュソス(バッカス)神に捧げる演劇が流行し、悲劇、喜劇などのジャンルも誕生しました。演劇と劇場の文化はギリシャ文化圏に広く伝播し、都市国家には欠かせないインフラの一つになりました。

古代ギリシャ劇場の特徴は、まず自然の斜面を利用して観客席を配置している事です。それゆえ、丘のある所によく見られます。後述するローマ人の建築技術が当時はなかった為、必然的にこのロケーションが選ばれました。また、舞台の後方は吹き抜けで自然の光景を背景として利用しています。

古代ローマ劇場

平地に独立して建造されたサブラタ(リビア)のローマ式劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

ギリシャの衰退後に、古代ローマが台頭すると、演劇と劇場の文化は引き継がれます。しかし、ローマには”パンとサーカス”という言葉がある通り、劇場や演劇は神々への奉納よりも市民のエンターテイメントとして定着して行きます。

古代ローマ劇場はギリシャの様式を残しつつも、円形闘技場にもみられるアーチを利用して地上から石で観客席を上まで積み上げる事が可能になり、自然の斜面がない都市の中心部に劇場を建設されるようになりました。一方でギリシャ時代の劇場の再利用もされ、舞台の背後に壁面を建設してローマ式に改装されました。都市部の劇場には木製の屋根が併設されて屋内環境で観賞することが出来ました。

劇団の役者たち(ポンペイのモザイクより)

ちなみに劇場は基本的に半円形で、闘技場は基本的に円形になっています。コロッセオを始めとする円形闘技場については、下記記事をご参照ください。

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ヘロディス・アッティコス劇場(アテネ/ギリシャ)

ヘロディス・アッティコス劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

古代演劇の中心であったアテナイ(アテネ)。アクロポリスの丘の南側には紀元前6世紀頃に建造された最も古い古代劇場の一つ、ディオニソス劇場が佇んでいます。残念ながら保存状態はあまり良くなく、その西側にあるヘロディス・アッティコス劇場の方が目に留まるでしょう。ローマ時代に入った後の紀元後161年に建造されたこの劇場は、ローマ式の音響が非常に優れた構造で、現在でもアテネフェスティバル芸術祭の主会場として活躍しています。2004年アテネ五輪の年には、故蜷川幸雄氏が古代ギリシャ演劇の『オイディプス王』の上演を成功させた事で日本にも劇場が紹介されました。

劇場(左手前)はパルテノン神殿のすぐ下(撮影:ユーラシア旅行社)

エピダウロスの古代劇場(ギリシャ)

エピダウロスの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

アテネの南西、ペロポネソス半島に位置するエピダウロスは、医学の神アスクレピオス信仰の聖地でした。古代劇場は紀元前4世紀末頃に建設され、古代劇がアスクレピオスに捧げられました。また医学の神の聖地へやってきた病やケガを持つ者に対して癒し効果を与える目的での上演もあったと言われています。

舞台の後ろは空いているものの、音響効果は抜群でこの劇場も夏の芸術祭で使われています。また古代の劇場建築においても最も優れた建造物の一つで、世界遺産にも登録されています。

エピダウロスの古代劇場観客席側より(撮影:ユーラシア旅行社)

デルフィの古代劇場(ギリシャ)

デルフィの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

古代ギリシャにおいてアポロンの神託の聖地と知られていたデルフィ。各ポリスの重要な決定の際には、デルフィの神託を伺うのが慣習でした。時には歴史を動かしたことも。その神託が行われていたアポロンの聖域(劇場の舞台奥の左右に延び、左側に柱が4本立っている長方形型の遺構)のすぐ上に建つのがデルフィの古代劇場です。アポロンに奉納される演劇が催され、観客は舞台に加え、その奥のアポロンの聖域、さらに奥の雄大な渓谷風景までを眺望する事ができました。自然の斜面を利用した典型的なギリシャ式劇場です。

アスペンドスの古代劇場(トルコ)

アスペンドスの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

現在のトルコ南部に位置する古代ギリシャの植民都市の中でも最も有力な都市の一つであったアスペンドス。ローマ帝国の支配下に入っていた紀元後160年頃に建設されたのが、現在でも保存状態が良い古代劇場です。ローマ式にしては珍しく丘を背に観客席が並んでいます。
当時街の目玉になる建築を目指して建てられた劇場は、二千年近くを経てもアスペンドスのシンボルであり、国際バレエ・オペラ祭を始め、トルコを代表する芸術イベントが開かれています。

ペルガモンの古代劇場(トルコ)

丘の上に建つペルガモンの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

現在のトルコ西部に位置するペルガモンは、小アジアを代表するギリシャ系の都市で、大きな力を誇っていました。ペルシャ戦争やアレクサンドロス3世(大王)の東方遠征後はペルガモン王国の首都として栄えました。
ペルガモンのアクロポリスに劇場が建設されたのは、紀元前3世紀末頃。典型的なギリシャ式劇場で、アクロポリスの斜面を利用して観客席が配置されています。この斜面が急峻な為、ペルガモンの古代劇場の観客席の角度は場所によっては60度を越える角度で地表から上に延びています。眼下にはカイコス川とペルガモンの町並みが広がり、タオルミナの古代劇場と並んで最もパノラマな古代劇場と言えるでしょう。

オランジュの古代劇場(フランス)

オランジュの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

カエサルのガリア遠征を経て、ローマの版図に入ったフランス南部には、アルルやニーム等の植民都市が築かれました。そのすぐ近くに位置するオランジュもまた植民都市として栄え、紀元後1世紀初代皇帝アウグストゥスの治世に古代劇場が建設されました。
ヨーロッパ一と言われる保存状態の良さで、二千年前の姿をよく留めており、舞台壁面には建設当時の皇帝アウグストゥスの像が2階部分のニーチェから誇らしく観客席を見下ろしています。ローマ帝国衰退後から中世を通しては要塞や避難所として使われたりしましたが、近代に入って修復され、夏のオランジュ音楽祭の開催地として現在も活躍中です。

オランジュの古代劇場観客席側(撮影:ユーラシア旅行社)

メリダの古代劇場(スペイン)

メリダの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

スペイン西部の古都メリダ。古代ローマ帝国にとって重要な金銀を生む要衝の地に、紀元前25年に街が築かれました。その約10年後に街のインフラ整備の一環で生まれたのがメリダの古代劇場です。部隊の背面建築が今も良く残っており、コリント様式の柱がきれいに並び、その間に彫像がところどころに立っています。
ローマ帝国衰退後、アラブ人の時代に入っても重要な政治決定の場として使われ、近代に入ってから修復されて音楽祭の会場として使われています。世界遺産にも登録されており、サグラダ・ファミリアやアルハンブラ宮殿と並ぶ『スペイン12の至宝』の一つに選ばれています。

プロブディフの古代劇場(ブルガリア)

プロブディフの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

ブルガリア南部、ソフィアに次ぐ第二の都市プロブディフ。その歴史は古く、紀元前6世紀頃から都市が形成され始め、古代マケドニア王国の台頭と共にその王フィリッポス2世の名前が冠せられたフィリッポポリスに名前を変え、トラキアの中心として栄えます。
古代劇場が建設されたのは紀元後1世紀に入ったローマ時代に入ってから。この劇場で特徴的なのは、観客席の良い座席の椅子に街の有力者の名前が刻まれている事です。現在でいう年間指定席のようなものであったのでしょう。今でも見る事ができます。
長らく地中に埋もれていた劇場ですが、1970年に偶然発見され、発掘・修復を経て今日に至ります。

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ボスラの古代劇場(シリア)

ボスラの古代劇場

シリア南部、ヨルダンとの国境にも近いボスラは、東西シルクロード、南北の紅海-黒海ルートの十字路に位置し、通商都市として紀元前よりナバテア人が首都にするなど、都市として繁栄していました。
紀元後2世紀、トラヤヌス帝が一帯を征服するとローマ式の巨大な古代劇場が建設されました。ボスラ周辺で採れる黒い玄武岩を利用した劇場は観客席まで黒ずんだ外見を呈しています。保存状態は非常によく、舞台やオーケストラ部分から歌う声は劇場の隅々まで響き渡ります。

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アンマンの古代劇場(ヨルダン)

街の中心部に位置する古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

現代に入っても発展を続けるヨルダンの首都アンマン。その中心部にすっぽり収まるように、二千年前から佇み続けるのが、アンマンの古代劇場です。アンマンは古代よりメソポタミア、エジプト、ペルシャ等の影響を受けながら、発展してきた古代都市の一つ。ローマ化された紀元後2世紀前半に古代劇場が建設されました。ローマ式の劇場ながら丘に沿って建設されている為、観客席の角度は結構急になっています。

広場に向かって開けたアンマンの劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

ペトラの古代劇場(ヨルダン)

ペトラの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

ナバテア人の都、岩窟の中に拓かれた幻の都市ペトラ。その遺跡中心部、有名なエル・カズネを通り過ぎた後に岩壁に沿って現れるのがペトラの古代劇場です。ギリシャやユダヤ等の影響を受けて紀元後1世紀前半頃に建設されました。薔薇色と言われる美しい模様が走るペトラの砂岩を削って出来たペトラの劇場は、風化は進んでいるものの、当時の姿を彷彿させます。

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サブラタの古代劇場(リビア)

サブラタの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社))

リビア北西部に紀元前5世紀頃に建設された港町サブラタ。フェニキア人がポエニ戦争で敗れた後は、ローマ化された都市に生まれ変わり、紀元後2世紀に古代劇場が建設されました。舞台の背景に並ぶ柱は比較的良い状態で残っていますが、ここでの注目は舞台下のレリーフです。他の劇場では原型を留めていないケースが多いレリーフがここではきれいな状態で見学する事ができます。神話や宗教的儀式等が岩に刻まれています。
2011年から始まったリビア内戦の戦火を受けて大きな被害が出た劇場ですが、2022年2月にかつての姿で見事に復活しました。

舞台下部のレリーフ(牛を犠牲に捧げる)も残る(撮影:ユーラシア旅行社)
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