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ヴェスヴィオの噴火で消えた古代都市ポンペイ遺跡の見所(イタリア)

2022 10/19
目次

ポンペイ遺跡とは

ポンペイ遺跡とヴェスビオ山(撮影:ユーラシア旅行社)

今現在では内陸に位置するポンペイは、二千年前には海岸線に接し、陸上、海上からもアクセスが良い港湾都市でした。それ故紀元前から集落が築かれていました。紀元前89年にローマ帝国の支配下に入ると、その地理的重要性から、交通の要衝として南イタリア屈指の大都市に発展しました。しかし、その繁栄も束の間、紀元後62年に大地震に見舞われ、さらにその17年後の紀元後79年に歴史に残るヴェスヴィオ山の大噴火が起き、一夜の内に街が飲み込まれ、焼失してしまいました。
それから1748年に再発見にされるまで、ポンペイの時は約1700年の間止まったままでした。そのおかげで貴重な古代ローマ帝国の遺構が一切劣化する事なく発掘され、近代以降の世界に当時の模様を語り続けています。

ポンペイ遺跡への行き方、アクセス

電車を利用する場合
起点のナポリからイタリアの国鉄とヴェスヴィオ周遊鉄道の二路線がポンペイとを結んでおり、所要時間は約30分です。後者のヴェスヴィオ周遊鉄道の方が遺跡の主要入口であるマリーナ門のすぐそばに近くにあるので便利です。
車を利用する場合
ナポリから約30分です。タクシー以外に直行のバスもあります。

古代都市ポンペイを飲み込んだヴェスヴィオ山の噴火

ジョン・マーティン「ポンペイとエルコラーノの破滅」(ロンドン/テートギャラリー所蔵)

ポンペイが古代ローマの都市として繁栄を極める紀元後62年に周辺一帯が大地震に見舞われ、市街も大きな被害を被りました。中央の支援も受けながらポンペイは復興事業に取り組み始めますが、この地震がポンペイの「終わりの始まり」でした。復興もままならぬ中でその17年後の79年8月24日(近年異説もあり)にポンペイの背後に聳えるヴェスヴィオ山の大噴火によって一夜の内に街は火砕流に飲み込まれ、ポンペイは地表と時の歴史から姿を消し去りました。
性的な壁画が数多く発見され、繁栄をいい事に退廃的な生活を送った富裕層の行動が神の怒りを買ってその報いを受けたという話も出ますが、当時の「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」というローマ帝国の最盛期においてポンペイだけが際立って退廃的な風潮があったとまでは言えないというのが通説であり、当然ながら噴火は自然現象なのでしょう。

石膏で復元されたポンペイの遺体(ナポリ考古学博物館 撮影:ユーラシア旅行社)

ポンペイ遺跡のみどころ、おすすめ観光

広大なポンペイ遺跡は外郭部まで含めると東京ドーム50個分以上の広大な面積を誇りますが、その大半はまだ未発掘のままです。何年かに一度大きな発見がニュースを賑わしているように、今後も発掘によって新しい発見がまだまだ出てくるでしょう。
現在発掘済で見学できるエリアは概ね遺跡の南西部寄りに集中しています。それでも最低半日は時間を取るようにしましょう。古代から時が止まったままの世界には、みどころが尽きません。

フォロ

ポンペイの中心フォロと並ぶアポロ神殿(撮影:ユーラシア旅行社)

フォロは現在の「フォーラム」という言葉の語源で、古代ローマ時代の都市の中心的な広場だった場所です。ポンペイのフォロに隣接して建てられていた音楽や芸術の神に捧げられたアポロ神殿は犠牲祭壇や神殿の基部が復元されて当時の面影を感じる事が出来ます。天気が良ければ、ここからヴェスヴィオ火山の姿も遺跡越しに望む事が出来るでしょう。

古代劇場

ポンペイの古代劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

遺跡の南側には、一際大きな建築物である古代劇場があります。最大5000人を収容出来たこの劇場は、音響効果にも配慮された建築で、ギリシャの影響を受けた悲劇や神話劇等が催されておりました。

古代闘技場

古代壁画(右上)にも描かれていた円形闘技場(撮影:ユーラシア旅行社)

ポンペイの南東端に位置する円形闘技場は、ローマのコロッセオと同じように剣闘士たちの試合が開催されていました。紀元後59年に催された剣闘士の試合では、世界初のフーリガン騒動も起き、ホームのポンペイ市民とアウェイのヌケリヤ市民の観戦者との間で口喧嘩から乱闘に発展し、特に数で不利なアウェイのヌケリヤ側に死者が出ました。その模様が右上のポンペイから発見されたフレスコにも描かれています。ちなみにこの事件の報告を受けたローマは、円形闘技場の10年間開催禁止、特に積極的に乱闘に加担したサポーターの非公式的な組合を解散させ、主催者は追放されました。フーリガンの発生から処罰まで今日のそれと大きく変わりませんね。

ファウノの家

ファウノの家(撮影:ユーラシア旅行社)

富裕市民が多く家を構えていたポンペイの中でも最大級の邸宅がファウノの家。家の名前は、上部写真にも写る牧神ファウノの像に由来しています。面積は約3000平方メートルにも及び、数多くの部屋や美しいモザイク、装飾が発見されました。特に日本人や世界的にも最も有名な古代ローマ時代のモザイクである「アレクサンドロスとイッソスの戦い」もこの邸宅から発見されました。(オリジナルは下記の写真にあるナポリ考古学博物館所蔵)

日本の教科書でもアレキサンドロス(大王)の肖像として登場する「イッソスの戦い」のモザイク(撮影:ユーラシア旅行社)

秘儀荘

秘儀荘(撮影:ユーラシア旅行社)

ポンペイ遺跡の北西部の外れに位置する「秘儀荘」。秘儀の名は、この壁画に描かれている場面が古代ローマ時代に流行していたカルトの一つディオニュシオスの秘儀であるという説に由来しています。元は富裕な市民の邸宅であった秘儀荘からポンペイ並びに古代ローマ一美しいフレスコ画が発見されました。後に起こる噴火を暗示するかのような背景の印象的な赤は「ポンペイの赤」と言われ、美術史にも大きな足跡を刻む事になりました。二千年前の鮮やかなフレスコは是非肉眼でご堪能ください。

秘儀荘のフレスコ画(撮影:ユーラシア旅行社)

現代と変わらないポンペイの都市設備

二千年前の横断歩道(撮影:ユーラシア旅行社)
二千年前のファストフード店(撮影:ユーラシア旅行社)
二千年前の宅配便(撮影:ユーラシア旅行社)

ポンペイ遺跡と一緒に訪れたい、ナポリ考古学博物館

ポンペイ遺跡から発掘されたモザイク、彫像、壁画の大半は、保存上の理由でナポリの考古学博物館に収蔵されています。ポンペイ遺跡を見学したら、必ず考古学博物館も一緒に訪れる事をお忘れなく。

ポンペイ出土の見事なモザイクや壁画が並ぶナポリ考古学博物館(撮影:ユーラシア旅行社)

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