パプアニューギニアの都市、ラバウルとは
赤道の直ぐ南に位置する、世界で2番目に大きな島、ニューギニア島の東半分を含む約600の島々からなるパプアニューギニアは、手つかずの自然が残り、数々の個性的な先住民族たちが暮らしています。最後の秘境とも称されるこの国は、実は日本と深いかかわりがあるのをご存じでしょうか。
パプアニューギニア東部のニューブリテン島最大の都市であるラバウル。活火山とジャングルが広がる雄大な自然と昔ながらの素朴な生活を送る人々が魅力的な町ですが、太平洋戦争時には日本の南方作戦の司令部が置かれた重要な拠点でした。こういった歴史的背景から日本軍の戦跡が多く残り、慰霊のために訪れる日本人は少なくありません。
ラバウルへの行き方、アクセス
ニューギニア航空にて、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビー/成⽥間の直⾏便が就航しております。およそ6時間半のフライトです。その後、空路にて約2時間で、ポートモレスビーからラバウルへ移動します。(直行便とラエ、ホスキンズ経由便があります)
※現在、新型コロナウイルスの影響で、ポートモレスビー/成⽥間の直⾏便が運休となっております。最新の運行状況については、各航空会社のウェブサイトでご確認ください。
ラバウル周辺で必ず訪れたいおすすめスポット6選
ココポ戦争博物館
太平洋戦争時の日本軍の足跡が見られる博物館です。戦車や零戦、歩兵砲といった戦闘機や武器はもちろん、兵士が使った茶碗やマージャンパイ、ビールの空き瓶など、ニューブリテン島各所から集められた日本軍のものが展示されています。
南太平洋戦没者の碑
ラバウルの町を見下ろす高台、「官邸山」と呼ばれた場所にあります。日本国政府と戦友会によって昭和55年9月30日に竣工されました。「さきの大戦において南太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する」と碑文が刻まれています。斜めになっている天井には、戦域を表す東南アジアや南太平洋の島々の地図が描かれ、地図のラバウルの位置に穴があいており、そこから太陽の陽が差すように工夫されています。
司令部防空壕跡(通称山本バンカー)
旧日本軍司令部の地下壕。昭和18年4月、ブーゲンビル島上空で戦死する(海軍甲事件)前に、山本五十六連合艦隊司令長官がここを訪れたといわれています。その為、山本バンカーとも呼ばれています。4人がようやく入れるほどの小さな円形部屋の壁や天井にはニューブリテン島とラバウルの地図が残り、当時の様子を彷彿させます。
大発(はしけ)の格納庫トンネル
日本軍が使用した上陸用舟艇である大型発動機艇(通称:大発)が格納された防空用格納庫。奥行120mほどのコンクリート製のトンネルには、5隻の大発が一列に格納されています。トンネルから海岸まで当時は約200m距離があり、レールを敷いて運んでいました。
小牧桟橋
輸送船・小牧丸は、昭和17年4月18日にラバウル入港。その後、アメリカ軍のB-26爆撃機による空襲にあい、船内に積まれていた弾薬に引火して爆発を起こし、沈没・座礁しました。ひっくり返った小牧丸の残骸に土砂を入れて仮設桟橋として利用されました。日本軍のエースと謳われたゼロ戦パイロットの坂井 三郎もこの小牧丸に乗船していたそうです。
ラバウル温泉
天然温泉が海に流れ込んでいるラバウル温泉。活火山である花吹山(=タブルブル山)が目の前にあります。近づくと温泉らしい硫黄のにおい。もちろん、水着があれば入ることも出来ます。源泉は90度近いので、海水と混ざった良い湯加減で入れるところを探し、ゆっくり温泉につかってみてはいかがでしょうか。
■ラバウル・マスク・フェスティバル
毎年7月に行われるマスクフェスティバルは、パプアニューギニアの個性的な民族文化を堪能できるイベントです。パプアニューギニアには800以上の部族が暮らすといわれますが、部族ごとに独自の「シンシン」と呼ばれる音楽と踊りを伴う儀式を伝統としています。
フェスティバルのはじまりは、キナバイの儀式。トーライ族の成人男性の秘密結社によって行われます。夜明けのうす暗い中、海岸で1人の精霊ドゥクドゥクが、船に乗った精霊トゥブアンを迎えます。戦時中、水木しげるさんもこの精霊を見ており、彼の作品にも登場しています。
巨大なマスクが特徴的なバイニン族をはじめラバウル近郊に暮らす部族たちによるシンシンは圧巻です。