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三国志の劉備を支えたもう一人の天才軍師、龐統士元(中国)

2023 3/24
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龐統士元とは

龐統像(撮影:ユーラシア旅行社)

諸葛良孔明と同じ荊州出身で若い頃からその才覚を認められ、諸葛亮が「臥龍」(世に出るのを待って伏せている龍)と呼ばれたのに対し、龐統は「鳳雛」(鳳凰の雛)と呼ばれ、両者の内一者を味方に出来れば天下を取れるとも評されていました。
三国志には最後に三国を統一した魏(曹操)の勝者の歴史を主に綴った『正史』と中世の明代に入ってから蜀(劉備)を正統として主人公に描いた『三国志演義』が存在しており、人物によっては双方で描かれ方が全く異なる場合も少なくありませんが、龐統に関してはどちらでも高い評価が残されており、諸葛亮と比肩し得る存在であった事は信じて良いでしょう。
『三国志演義』では『正史』と比べて後述する赤壁の戦いでの活躍が加わっているものの、その後のストーリーは概ね足並みが揃っています。

落鳳坡にある龐統と諸葛亮像(撮影:ユーラシア旅行社)

龐統は赤壁の戦い後に呉の孫権の目に留まらず、次いで仕官した劉備からも軽んじられて田舎の閑職に飛ばされ、才能を持て余して田舎の職務を全うする事もなかったそうです。しかしかねてより龐統の才能を知っていた諸葛亮や呉の魯粛の推挙もあって劉備は龐統の評価を一新し、諸葛亮と同じ軍師中郎将にまで引き上げました。
その後は劉備の蜀遠征にも同行して功績を上げたものの、落鳳坡という場所で流れ矢に当たり、僅か36歳でこの世を去る事になりました。

龐統士元の人物

龐統は好んで人物評価をしましたが、どちらかと言えば過大評価をする傾向があったそうです。ある時それを指摘された龐統は次のように答えたそうです。
「現在天下は乱れ、正道は衰え、善人は少なく悪人は多い。褒め過ぎくらいの評価をして名誉欲を満たしてやらなければ、善事をおこなう者は増えないだろう。志ある者に希望を与え、努力させられるのだから、これもいいではないか」智謀に加えて善の心を持った龐統ならではのエピソードです。

綿陽_富楽山にある劉璋・劉備酒宴の再現(撮影:ユーラシア旅行社)

また、蜀への遠征において主君劉備が劉璋と友好的会食をする事になった際に、劉璋をそのまま捕らえる事を進言し、義を理由に劉備が見送る場面がありました。しかしその後しばらくして劉備が劉璋に対して宣戦布告し、勝利を重ねた際の酒宴において劉備が上機嫌で酔っていると、龐統は劉璋を急に攻撃しておきながら喜んで酒を飲んでいるのは義に反するのではという皮肉を口にしました。劉備は怒って龐統を退出させたが、その後声をかけると龐統は「君臣(劉備と龐統)共に誤っていました」と答え、劉備を笑わせて仲もすぐ直ったそうです。

龐統士元ゆかりの地

襄陽

襄陽城(撮影:ユーラシア旅行社)

龐統は襄陽出身ですが、諸葛亮のように生家やゆかりの地というものは周辺含めても残念ながら残ってはいません。三国時代は荊州第一の都市として多くの文化人が集い、龐統もその中で徐々に名声を得て行きましたが、荊州太守の劉表やその後征服した曹操に仕える事はなく、長江方面の南方に居を移しました。

赤壁と鳳雛庵

鳳雛庵(撮影:ユーラシア旅行社)

曹操率いる大軍が孫権・劉備連合軍と戦う三国志最大の戦いである赤壁の戦い。長江に山が迫る赤壁の近くに鳳雛庵と呼ばれる龐統を祀る庵があります。三国志演義では、間近に迫った両軍の様子を観察しつつ、地元の賢人として曹操の元を訪れ、船酔いに悩む曹操軍に対して船同士を繋げて揺れを抑える「連環の計」を提案します。しかしこれが実は曹操攻略を目論む龐統の策で、孫権軍の将軍周瑜の火攻めを助ける(火が船から船へと燃え移りやすいように)為で結果的に歴史に残る勝利を呼び込む事になります。尚、正史にはこのような記述はありませんが、龐統がこの時期周瑜の元で動いていた事は確かなようです。

庵が出来たのは近代に入ってからですが、龐統が作戦を練る像もあり、その功績に対する民間の敬意がうかがえます。

策を練る龐統像(撮影:ユーラシア旅行社)

富楽山

綿陽にある富楽山(撮影:ユーラシア旅行社)

記事の冒頭でも紹介した蜀遠征の名場面が、劉璋と劉備のフ城での会食です。フ城に近い綿陽関は当時の蜀(現四川省)にとって要衝の地でした。富楽山には会食を再現する像が並んでおり、劉備側席の筆頭に龐統の姿も見えます。

富楽山の酒宴再現ジオラマ(撮影:ユーラシア旅行社)

落鳳坡

落鳳坡の記念碑(撮影:ユーラシア旅行社)

落鳳坡は龐統が命を落とした場所。蜀の都成都に迫る劉備軍の一団を率いて進軍中に急襲され、矢傷がもとで亡くなったとされています。『三国志演義』では元々落鳳坡と呼ばれていた場所で龐統が命を落とす記述がありますが、実際には龐統が死んだ場所である為、後に落鳳坡と名付けられたという説が有力です。

龐統の戦死した場所に記念碑があり、龐統の墓もあります。天下の諸葛亮孔明に比肩しうる才能を持っていた龐統がこの地で若死にしなければ、三国志の結末は別の物になっていたかもしれません。善の心を持っていた賢人にそっと手を合わせましょう。

龐統祠(撮影:ユーラシア旅行社)

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