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世界遺産アヴィニョン歴史地区、教皇庁と橋のおすすめ観光(フランス)

2022 8/18
目次

アヴィニョンとは

アヴィニョンの町並み(左に大聖堂、右に教皇庁)(撮影:ユーラシア旅行社)

ローヌ川に面した要衝の地に位置するアヴィニョンは、古代ローマ時代の植民都市として建設され、近隣のアルルやニームと同様属州の重要な都市として発展しました。その後は政争や戦争を通じて旗色が悪い方に付く事が多く、町は中世に至るまで衰退と再建を繰り返します。
アヴィニョンが一躍脚光を集めるのは14世紀初頭、フランス王フィリップ4世が息がかかった時の教皇クレメンス五世を1309年にアヴィニョンに遷し、アヴィニョン教皇庁時代(アヴィニョン捕囚)が始まった時です。街はキリスト教世界の中心として整備され、数多くの建築も誕生しました。アヴィニョン捕囚の後の大分裂時代までアヴィニョンの繁栄は続きますが、1417年のコンスタンツ公会議後にローマに教皇が戻ると、以後は南仏の地方都市としての歴史を積み重ねて行く事になります。

アヴィニョン捕囚と大分裂時代
14世紀初頭、教皇と対立していたフランス王フィリップ4世が敵対勢力を廃し、息がかかったフランス人の教皇や枢機卿を用いて権力を握り、アヴィニョン教皇庁を建てて教皇を約70年に渡って住まわせた事が特にイタリア側からはバビロン捕囚に因んだ”アヴィニョン捕囚”と呼ばれました。
1377年には和解が成立して一旦ローマに教皇グレゴリウス一世が帰ったものの、翌年死去し、その後継を巡ってイタリアとフランスの対立が表面化。イタリア人がローマに、フランス人がアヴィニョンにそれぞれ別の教皇を立てる日本の南北朝時代と同じような”教会大分裂(シスマ)”を迎え、1417年のコンスタンツ公会議まで続きました。

アヴィニョンへの行き方、アクセス

アヴィニョン駅へはパリからTGV(約2.5時間)やマルセイユ、ニースからも列車でアクセスする事ができます。周辺のアルル、ニーム、オランジュ等のみどころも多いので一緒に回ると良いでしょう。

アヴィニョンのみどころ、おすすめ観光5選

アヴィニョン教皇庁(法王庁)

アヴィニョン教皇庁(撮影:ユーラシア旅行社)

1250年代に当初修道院として建設された建物をアヴィニョンに教皇を迎える為に増築して出来た巨大な宮殿。ヨーロッパでも最大級のゴシック建築としても知られています。数多くの塔が張り巡らされており、独特の外観を持っています。15,000平方メートルを超える広大な内部はゴシックアーチが多く連なり、ヴァチカン博物館とはまた異なった様相を呈しながら当時の栄華を偲ばせてくれます。

アヴィニョン教皇庁内部(撮影:ユーラシア旅行社)

サン・ベネゼ橋

サン・ベネゼ橋(Marcel DominicによるPixabayからの画像)

サン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)は、アヴィニョン中心部からローヌ川に架けられた石造りの橋で12世紀後半に建造されました。しかしその後の戦乱やローヌ川の氾濫で橋は何度も破壊され、都度市民たちによって再建されました。しかし破壊の度合いが増した17世紀には再建は諦められ、今日の川の途中で断絶する姿になりました。この橋は有名な”アヴィニョンの橋の上で”の歌でも知られ、アヴィニョンの顔の一つです。

サン・ベネゼ橋とラベンダー(7月撮影:ユーラシア旅行社)

大聖堂

アヴィニョン大聖堂(右)と逆さの象像(撮影:ユーラシア旅行社)

教皇庁のすぐ傍にはアヴィニョンの大聖堂があります。教皇庁の少し前に建設され、アヴィニョン教皇庁時代には、信仰の中心地として活用されました。その後フランス革命で大きな被害も受けましたが、修復され、鐘楼の上に建つ聖母マリアの金色の像が目を引く重厚な建物です。(写真に写っている像は芸術家ミケル・バルセロの作品で現在はありません。)

モネー館

モネー館(撮影:ユーラシア旅行社)

アヴィニョン教皇庁の向かいに建つモネー館。アヴィニョン教皇庁時代より後の17世紀に造幣局として営まれた事からモネー(=マネー)の名前が付いており、当時所有していたバーニ家のワシや竜の立派な紋章が壁面に残されています。上の画像の通り、ここはアヴィニョン有数の休憩の名所でもあります。

オペラ劇場

オペラ劇場(撮影:ユーラシア旅行社)

野外公演が多かった18世紀から19世紀に入った時に市民の宿願でもあった常設劇場建設が達成されたのが1825年。一度消失したものの、すぐ再建され、今日に至っています。ネオクラシック様式のファサードは、ベル・エポックの雰囲気も漂わせています。

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