チチェンイッツァとは
ユカタン半島北東部、カルスト台地の上に建つチチェンイッツァ遺跡。7世紀頃から都市としての体裁を整え、その後マヤ文明の後古典期(10世紀頃)には一帯に支配権を確立し、最盛期を迎えます。この時期にカスティーヨ(大ピラミッド)を始め、チチェンイッツァを代表する多くの建造物も造成されました。
しかし、13世紀頃に入ると、マヤパンやそのほか周辺都市との争いの中で衰退し、やがて打ち捨てられていきます。チチェンイッツァが再度脚光を浴びるのは発掘が進み、その壮大な都市遺跡の考古学的価値が世界的に認められる19世紀以降です。1988年には世界文化遺産に登録され、ユカタン半島を代表する観光地として世界中から多くの人がこの遺跡を訪れ続けています。
チチェンイッツァへの行き方、アクセス
チチェンイッツァへの移動は、ユカタン州の州都で空港もある西側のメリダ、或いは国際的観光地である東側のカンクンが拠点になります。電車はないので、車でメリダからは約2時間、カンクンからは約3時間です。バスもありますが、日本発着、現地発着のツアーも多数あるので、ガイドも付くツアー利用がお勧めです。
チチェンイッツァのみどころ6選
カスティーヨ
遺跡に入って真っ先に目に飛び込んでくるのが、チチェンイッツァ見学最大のハイライトでもカスティーヨ(大ピラミッド)です。カスティーヨの名は、スペイン語の城に由来し、まるで城のように聳える偉容から名づけられました。実際には城ではなく、マヤの主神であったククルカンの神殿です。高さは約30m、ピラミッドの四面それぞれに91段の階段があり、頂上部の最後の1段と合わせて365段になり、太陽暦の1年をモチーフにしている事で知られています。残念ながら今現在は上る事はできません。
階段基部のククルカン頭部に向かって蛇の影が現れる春分・秋分の日の奇跡(ククルカン降臨)でも知られています。記事の最後でより詳しくご紹介しています。
カラコル(天文台)
カラコルとはスペイン語で”カタツムリ”を意味し、円形のドームという外見に因んでいます。しかし角のある方形建築が多いマヤにおいて円形建築になっているのは、深い意味があると言われています。ドームの上部には窓が複数あり、ここから天体の動きを観測するための天文台であったと考えられています。
戦士の神殿
前に四角形の柱が林立する階段状のピラミッドが、戦士の神殿です。柱に戦士の姿が描かれていた事から名づけられました。頂上部には、人身御供の儀式も行われていたと言われるチャクモール像が安置されていました。チチェンイッツァ遺跡内でも最も大きい建造物の一つで、大きな集会も開かれていたと考えられています。
球戯場
各地のマヤ遺跡に点在する球戯場の中でも最大級のものがチチェンイッツァの球戯場です。縦168m、横70mの規模を誇り、左右は大きな壁に囲まれていました。ここでは、スポーツというよりも宗教儀式に近い形で球戯が行われていました。詳細なルールは分かっていませんが、主に腰や太ももでボールを進めて石の輪のゴールを目指したと考えられています。
セノーテ
カルスト台地が広がるユカタン半島北東部には、陥没穴に水が溜まったセノーテが数多く点在し、地表に川がないこの地域においては、貴重な水源でもありました。チチェンイッツァ遺跡内のセノーテは神聖視され、周辺からも多くの巡礼者が通い、特に水が乏しい時期には雨の神チャクに祈る宗教儀式が度々行われ、人身御供も含めてセノーテ内へ様々な物が奉納されました。調査の結果、実際に多数の宝飾品や生贄として捧げられたとみられる人骨が発見されています。
ツォンパントリ
ツォンパントリは、頭蓋骨の棚を意味し、実際に敵や宗教儀式の生贄に捧げられた人の頭蓋骨がここに並べられていたと考えられています。そして壁面にはそれを象徴するかのように、頭蓋骨の彫刻がびっしりと彫り込まれています。
チチェンイッツァの春分・秋分の日の奇跡
最高神ククルカン
ユカタンマヤ地域における最高神ククルカンの名は”羽のある蛇”を意味し、実際に蛇の姿で描かれます。類似した姿を持つアステカのケツァルコアトル神の流れを汲んでいる神様です。毎年春分と秋分の日、カスティーヨにそのククルカンの姿が降臨します。下部写真にあるようにピラミッドの階段の影が、最下部にあるククルカン(蛇)の頭の像に向かって蛇の形に浮かび上がります。