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カナーヴォン城とプリンスオブウェールズ(英国)

2022 7/24
目次

カナーヴォン城とは

カナーヴォン城(撮影:ユーラシア旅行社)

ウェールズ北部、サイオント川がメナイ海峡に注ぐ地に位置するカナーヴォンは、古代ローマ人達がブリテン島にやってきた時紀元前後から要衝の地として知られ、砦が築かれていました。その後ローマ人達が去った後、時を経て1283年に積極的対外侵攻で知られるイングランドのエドワード一世がウェールズ遠征でカナーヴォンに到達し、ウェールズ北部を治める為の城の建設を命じました。
抗争が絶えなかった事から城は頑丈に建てられ、今日までその偉容を残しています。ウェールズ北部に点在する『グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁』の最大の城として世界遺産にも登録されています。20世紀に入ってからは後述する『プリンスオブウェールズの叙任式』の舞台にもなっている為、現代においても重要な地位を持つ城です。

カナーヴォンへの行き方、アクセス

電車の駅はなく、最寄り駅は10km強離れたバンガー(Bangor)です。バンガーからはバスで約25分でカナーヴォンに到着します。また、ロンドン、マンチェスター等の大都市からは直通のバスも走っています。南部も含めてウェールズ全体を訪れたい場合は、ツアーの利用もお勧めします。

カナーヴォン城におけるプリンスオブウェールズ叙任式

カナーヴォン城の叙位式典会場(左:1969年の式典前日の様子(c)Dr Charles Nelson、右:当時と変わらない現在の城内部)

ウェールズに侵攻したエドワード一世は、ウェールズ懐柔の目的もあってイングランド王である自身の世継ぎを『プリンスオブウェールズ』と呼びました。以降イングランド王(後の英国王室)の王太子は、慣習としてプリンスオブウェールズの地位に就く事になりました。
その後時は流れ20世紀、首相も含めて政治的要職にあったウェールズ出身のデビッド・ロイド・ジョージ伯爵によって1911年にカナーヴォン城を舞台に初めてプリンスオブウェールズの叙任式典が開かれ、特にウェールズにおいては大きな反響を呼びました。1969年には二度目の叙任式典が開かれ、チャールズ王太子が叙任されました。

カナーヴォン城のみどころ

王の門

カナーヴォン城『王の門』(撮影:ユーラシア旅行社)

カナーヴォン城の市街側に面したメインエントランスが『王の門』です。海峡や川を望む城壁が完成した後、13世紀末から14世紀初頭にかけて建設されました。門の上のニーチェ(窪み)には、初代プリンスオブウェールズであるエドワード一世の子エドワード二世の像が立っています。
2022年現在門は修復中で完成後には今までアクセスする事が出来なかった3階に上がれるようになる予定。完成後は、市街側のパノラマが望めるようになるでしょう。

城内の中庭

カナーヴォン城内部(撮影:ユーラシア旅行社)

巨大なカナーヴォン城の内部には大きな中庭が広がっています。往時は居住、共同スペースとしても使われていた場所で、現在ではプリンスオブウェールズの叙任式典会場として知られています。

鷲の塔(イーグルタワー)

カナーヴォン城でも最も古い建築である鷲の塔(イーグルタワー)は城を囲む塔の中でも最大で一際目立ちます。4階層からなり、かつては上流階級の居住空間として使われたりもしましたが、ちょうどサイオント川とメナイ海峡を望む最重要方角にある為、軍事用に使われる事も少なくありませんでした。上部に鷲の像がある事からこの名前が付けられました。

サイオント川側の眺め(撮影:ユーラシア旅行社)
メナイ海峡側の眺め(撮影:ユーラシア旅行社)

カナーヴォンの町

城前広場、正面はウェールズ長老派(プレスベテリアン)教会(撮影:ユーラシア旅行社)

カナーヴォン城と繋げた城壁に囲まれた町は今でも健在です。ここはイングランドではなく、あくまでウェールズという意識が高く、ウェールズの教会やウェールズの食べ物等ここならではのものが並んでいます。

広場の食料品店(撮影:ユーラシア旅行社)

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