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マザー・テレサの生地スコピエ(北マケドニア)と縁の地コルカタ(インド)

2022 7/21
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マザー・テレサについて

マザー・テレサ像(撮影:ユーラシア旅行社)

マザー・テレサの本名は、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。1910年にスコピエ(現北マケドニアの首都)で生まれました。18歳の時修道院の教師として当時のイギリス領インドに渡り、貧富の差と飢えや病に苦しむインドの現実に直面して現地にとどまりました。貧困と疫病が蔓延している都市といわれたコルカタ(旧カルカッタ)で学校や孤児院、さらに、死を間近にした人を介護するホスピス「死を待つ人の家」を開設しました。マザーテレサの活動は、世界中の人々の共感を呼び、その遺志を引き継いで活動する聖職者は世界百カ国およそ4千人に上るといわれています。貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。人道援助の活動家として象徴的な存在でした。

マザー・テレサの出身地スコピエへの行き方、アクセス

マザー・テレサの出身地は、現在の北マケドニア共和国の首都スコピエです。日本からは直行便はなく、飛行機で欧州や中東で乗り継いで約20時間で到着します。

マザー・テレサの出身地スコピエの観光地

後にマザー・テレサと呼ばれる少女は、両親が熱心なカトリック教徒であったこともあり、子供の頃から貧しい人への施しを積極的に行っていました。彼女は、いつかインドで修道女として働くことを夢見ていました。

マザー・ハウス(撮影:ユーラシア旅行社)

そんな彼女の生誕の地スコピエに2009年、「マザー・テレサ記念館」がオープンしました。スコピエは元々、マザーテレサが洗礼を受けた教会の跡地で、街を歩けば「マザー・テレサはスコピエで生まれた( Mother Teresa was born in Skopje)」というアピール文を目にしますし、グッズを売る屋台にも出会います 。マザー・テレサ記念館には、ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの写真や身の回りの品・活動についての資料を展示してあります。彼女のシンボルである青色のラインが入ったサリーは質素なもので、正に彼女の行ってきた活動と重なるものがあります。

マザー・テレサ記念館(撮影:ユーラシア旅行社)

古さと新しさが共存する、独特の建築スタイルが目を引く記念館は、近年奇抜な建物や銅像が数多く建てられているスコピエらしい建築物であり、最上階にはガラス張りの素敵な礼拝堂もあります。 開館以来、毎年8万から10万人の人々がこの記念館を訪れ、マザー・テレサの生涯に触れているといいます。訪問者のなかには各国の大統領や首相、大使、マザー・テレサの甥といった権力者や有名人も多数含まれているとか。また、3階建ての建物の2階部分は、20世紀初頭の家を模した展示室になっています。

インドでの活動地

死を待つ人の家(撮影:ユーラシア旅行社)

修道院をでて最初に行った活動は、コルカタのスラム街でのストリートチルドレンへの無料授業と言われています。 その後インド政府の協力で有名な「死を待つ人々の家」を開設しました。「死を待つ人々の家」は、1952年にマザー・テレサにより、インドのコルカタに設立された、貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設です。ヒンドゥー教のカーリー神を祭る寺院であったのですが、長く放置され荒れ果てていたものをリニューアルして病院にしたものが施設として使用されました。この施設は、マザー・テレサの49回目の誕生日を記念して開所したものです。ここで死を迎える人々は、生命のあるうちに本人の信仰している宗教を尋ねられ、亡くなった後はその人の宗教のやり方で葬儀が行われます。なお、ここに収容された人々の全てがそのまま死を迎えるわけではなく、約半数の人々は無事に回復して施設から卒業していったそうです。

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