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ブルターニュとノルマンディーで見るモネ絵画の原風景

2024 4/12
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ブルターニュとノルマンディーとは

ブルターニュ大公城(撮影:ユーラシア旅行社)

フランス北西部に位置する両地域は、かつてのブルターニュ公国とノルマンディー公国であり、ケルト人や北欧バイキングを祖先とし、独自の文化・伝統を色濃く残す地域。その独自の伝統は、民族衣装や建築物、食にもあらわされ、それらは多くの人々を魅了してきました。両地域ともに大西洋に面する街が多く、天候によって穏やかさと荒れる両面性を持つ海、内陸部では牛や馬が放牧される長閑な自然の景色も、両地域の魅力のひとつです。

ノルマンディーで描かれたモネの作品

『印象・日の出』(ル・アーヴル)

『印象・日の出』マルモッタン美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

ル・アーヴルは、第二次世界大戦中、砲撃と空爆によって、街の8割が破壊、8万人の市民が住居を失いました。戦後、ル・アーヴルの都市再建計画に抜擢されたのが「コンクリートの父」という異名をもつ建築家オーギュスト・ペレでした。合計40万人の住まいとなる100の建物群を設計、木材不足のなか、コンクリートを用いた機能的な街並みでル・アーヴルは復興しました。

『印象・日の出』を描いたと推定される場所(撮影:ユーラシア旅行社)

その再開発地区に、印象派コレクションではフランスで2番目の所蔵を誇るマルロー美術館があります。“印象派”の由来となったモネ作『印象・日の出』は、この美術館近くで描かれたといわれています。しかし、先述したようにル・アーヴルの街は第二次大戦で戦災を受けましたので、残念ながらモネが描いた当時の風景は残っていません。

『エトルタの断崖』(エトルタ)

『エトルタの断崖』プーシキン美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

多くの画家によって描かれたエトルタの断崖。エトルタの断崖という説明だけでみると、描かれている断崖の姿が違い、どれが本当のエトルタの断崖の姿?と思われた方もいるかもしれません。じつはエトルタの断崖は「ポルト・アヴァル」(Porte d’Aval)、「ポルト・ダモン」(Porte d’Amont)、「マンヌ・ポルト」(Manne porte)と3つあります。
3か所あるエトルタの断崖のなかで有名なのは断崖とアーチ、海から突き出る針岩の風景「ポルト・アヴァル」でしょう。

ポルト・アヴァルの断崖(撮影:ユーラシア旅行社)

『ルーアン大聖堂』(ルーアン)

『大聖堂』オルセー美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

大聖堂正面向かいの建物の部屋を借りて、モネは部屋の窓から30点ものルーアン大聖堂の連作を描きました。時間帯、天候などによる光のあたり具合などで同一の対象物が、このように印象がかわるものなのか、と感じさせられるのも連作だからこそといえるでしょう。

「石のレース」と呼ばれる繊細な彫刻が美しいルーアン大聖堂(撮影:ユーラシア旅行社)

『サント・カトリーヌの鐘楼』(オンフルール)

『サント・カトリーヌの鐘楼』ブーダン美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

19世紀から貿易で栄えたオンフルール。旧港まわりに住居があるということは、当時では富豪のステータスでした。そのステータスを感じさせられる美しい建物面するオンフルール旧港や趣ある木造家屋が建ち並ぶ旧市街は、芸術家や作家たちに好まれ、多くの作品に取り込まれ、描かれました。ブーダンやモネをはじめとした印象派の画家たちが描いたオンフルールの名所は、現在でも目にすることができます。

サント・カトリーヌの鐘楼(撮影:ユーラシア旅行社)

英仏100年戦争中の15世紀にイギリス軍によって破壊された教会を、100年戦争終結後に再建するときには、住宅再建で大工が人手不足状態。そこで教会再建に手を挙げたのが地元の船大工たちでした。1468年、船大工たちによって木造教会と木造の鐘楼が再建されました。

『睡蓮』モネの庭(ジヴェルニー)

『モネの庭 太鼓橋』オルセー美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

自宅に併設されたモネの理想を実現化した庭。日本の浮世絵を好み、自宅内部には浮世絵が飾られています。モネの庭の中には太鼓橋がかけられていることから浮世絵がモネにとって印象深いものだったことがわかります。

モネの庭にある太鼓橋/ジヴェルニー(撮影:ユーラシア旅行社)

モネの代表作のひとつ『睡蓮』の連作は、この庭で描かれました。

モネの庭/ジヴェルニー(撮影:ユーラシア旅行社)

ブルターニュで描かれた作品

『ポール・コトンの奇岩』(ベル・イル島)

『ポール・コトンの奇岩』プーシキン美術館(撮影:ユーラシア旅行社)

ブルターニュ半島の南、ビスケー湾に細長く突き出たキブロン半島から船で50分ほどで到着するベル・イル島。紀元前6世紀に本土から切り離されたベル・イル島の海岸線には、長い年月、海の浸食で削られた奇岩を多く目にします。
1886年にベル・イル島を訪れたモネは、コトン入り江の奇岩に魅了され、約2か月半滞在しました。滞在中に描いた作品は39点。そのうちの17点は、ポール・コトンの奇岩でした。

モネを魅了した奇岩(撮影:ユーラシア旅行社)

ベル・イル島に魅了された多くの有名人のなかで、フランスゆかりの人物だとサラ・ベルナールが挙げられます。島の自然に魅了されたサラ・ベルナールは、プーラン岬近くに別荘を建設し、定期的に訪れました。

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