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地中海に浮かぶマルタ島で必見!マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)ゆかりの地を巡る

2022 1/13
マルタ島の中心、世界遺産ヴァレッタ
目次

マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)とは

マルタ騎士団の甲冑(撮影:ユーラシア旅行社)

中世ヨーロパの3大騎士団(テンプル騎士団、ドイツ騎士団、マルタ騎士団)のうち、現存し、900年の歴史を誇るカトリック修道会の騎士団、マルタ騎士団。正式名称は、エルサレム、ロードス及びマルタにおける聖ヨハネ主権軍事病院騎士修道会。1050年頃、キリスト教にとって最も重要な聖地エルサレムを巡礼する信徒の為の病院・宿泊施設を運営する慈善活動を行っていた修道会がこのマルタ騎士団の起源となります。
この修道会の病院はエルサレムの聖ヨハネ修道院の跡地に建てられた為、聖ヨハネ病院と呼ばれていました。エルサレムはキリスト教だけでなく、イスラム教にとっても大切な聖地であった為、聖地周辺の土地を巡る取り合いが起こる中、1回目の十字軍遠征でイスラム勢力からエルサレムを奪還した後の1113年、当時の法王から修道会が公認され、巡礼者の救護・警護に従事し、病院名にちなんで聖ヨハネ騎士団と呼ばれるようになりました。当初は軍旗を持たない医療奉仕活動を目的に設立された聖ヨハネ騎士団ですが、その後十字軍の戦いにも駆り出されるようになり、16世紀まで敵対するスラム勢力と戦うことが主な活動となっていきました。聖ヨハネ騎士団がマルタに到着したのは1530年。キリスト教勢力とイスラム教勢力の長年の戦いの中で、聖ヨハネ騎士団はロードス島に拠点を移すもそのロードス島もオスマン帝国の攻撃で手放し、7年間拠点のないままに各地を転々としていました。
神聖ローマ帝国のカール5世が年間の賃料として1羽の鷹を条件に騎士団にマルタを与え、やがて聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団と呼ばれるようになりました。

シャルル・フィリップ・ラヴィリエール作『マルタの大包囲戦』(ベルサイユ宮殿所蔵)(CC BY-SA 3.0)

イスラム勢力との長い闘いの中でも、とりわけ有名なものがマルタが舞台となったマルタ包囲戦です。1565年5月18日、オスマン帝国の大軍がマルタに押し寄せますが、マルタ側はその1/3にも満たない兵力で迎え撃つこととなります。マルタ側は圧倒的不利な兵力ながら、当時の騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ヴァレットの指揮のもと、降伏することなく耐え、カトリック勢力からの援軍も到着した事もあり9月8日にオスマン帝国軍はマルタから撤退していきました。この戦いで騎士団とマルタはイスラム勢力からヨーロッパを守り抜いたと大いに称えられ、当時の栄華を物語る壮麗な建築物は今もヴァレッタ市街に残されています。

マルタ騎士団は233年間に渡ってマルタを拠点としていましたが、1798年にナポレオン率いるフランス軍の侵攻でマルタを引き渡してしまい、各国の支持者の領地を転々とした後、1834年にローマに本部を置くことを許され、現在に至ります。現在のマルタ騎士団は領土を持たないながらも、本部の建物はマルタ騎士団国としての治外法権が認められており、国際法上の主権実態が認められ世界の約110か国と外交関係を持ち、国際慈善全団体として医療奉仕をはじめとした奉仕活動を行っています。

マルタ島への行き方、アクセス

イタリア・シチリア島の南側に位置するマルタ島の空の玄関口となるマルタ国際空港へは日本からの直行便がない為、中東またはヨーロッパ内都市で乗り継いで向かうこととなります。同一航空会社で日本から1回の乗り継ぎで向かう場合は、エミレーツ航空(ドバイ乗り継ぎ)、ターキッシュ・エアラインズ(イスタンブール乗り継ぎ)となります。(2021年12月現在)
エミレーツ航空の場合、日本からドバイへは約12時間、ドバイからマルタ島へはラルナカ(キプロス)経由で約8時間時間のフライトです。
マルタ国際空港からヴァレッタへはタクシーやバスなどで向かいます。(所要約20~30分)

要塞都市ヴァレッタの見どころ

騎士団が築いた堅牢な要塞が街を囲む(撮影:ユーラシア旅行社)

マルタ島とゴゾ島、コミノ島の主に3つの島からなるマルタ共和国は東京23区のおよそ半分の大きさの小さな国ながらその見所は古代遺跡から中世の街並み、自然の絶景に至るまで実に様々。今回はマルタ騎士団にテーマを絞ってマルタ島の見どころをご紹介したいと思います。
まず、首都ヴァレッタ。オスマン帝国軍とのマルタ包囲戦の後、ヨーロッパ各国や有力者達団からの莫大な寄付が集まったこともあり、騎士団は新たな要塞都市として1566年にヴァレッタの建設を始めました。ヴァレッタは2つの港湾に挟まれた半島を高さ30mの城壁で周囲を囲み海からの攻撃に備え、半島の付け根には深さ50mの空壕を掘って陸側からの侵入も防ぐ堅固な要塞都市として築かれました。このヴァレッタは東西に1km、南北に800mほどと小さいながらも、その内部は蜂蜜色の石灰岩「マルタスト-ン」で作られた壮麗な建物が並び、中世の趣と騎士団の黄金時代を今に伝えてくれます。現在、町全体がユネスコの世界遺産に登録されている首都ヴァレッタの見逃せないスポットをご紹介します。

聖ヨハネ大聖堂

聖ヨハネ大聖堂・外観(撮影:ユーラシア旅行社)

ヴァレッタのほぼ中心部に位置する1578年に完成した聖ヨハネ大聖堂。外観はシンプルですが、その内部は豪華絢爛、重厚できらびやかな装飾が施されています。天井には騎士団の守護聖人である聖ヨハネの生涯が描かれ、床は色鮮やかな大理石の騎士達の墓碑で埋め尽くされています。また、身廊の左右には、騎士団の言語・出身地別の守護聖人が祀られた8つの礼拝堂が設けられ、絵画や彫刻で飾られ、それぞれの礼拝堂がその美しさを競いあうかのようです。訪れる者を圧倒するほどの内部装飾に当時の騎士団の資金の豊富さも伺い知ることができます。

聖ヨハネ大聖堂・内部(撮影:ユーラシア旅行社)

この聖ヨハネ大聖堂を訪れたら見逃せないのが聖ヨハネ大聖堂に併設された付属美術館です。付属美術館には、イタリア人の天才画家カラヴァッジョの貴重な絵画が展示されています。殺人の罪を犯し、騎士団長の庇護を求めてマルタへの逃れたカラヴァッジョの「連礼者聖ヨハネの斬首」は光と闇の劇的なまでのコントラストが見る者に強い印象を与えてくれます。ちなみに、彼のサインが残っている作品は、この「洗礼者聖ヨハネの斬首」のみだそうです。

カラヴァッジョ『洗礼者聖ヨハネの斬首』(撮影:ユーラシア旅行社)

騎士団長の宮殿

騎士団長の宮殿(撮影:ユーラシア旅行社)

歴代マルタ騎士団長の公邸だった騎士団長の宮殿は、聖ヨハネ大聖堂と同じ建築家により1571年に完成し、1階に兵舎、厨房、貯蔵所、2回に大広間や会議室、騎士団長の執務室などが設けられていました。この騎士団長の宮殿は、フランスの占領後、イギリスの支配下におかれ、イギリス総督官邸として使用されていましたが、マルタ共和国の独立後から現在に至るまで大統領府と議会がおかれています。現在、内部見学可能な部屋は僅か数室、そのうちの一部のみ公開される場合もある等流動的ですが、甲冑や歴代の騎士団長の肖像画などが飾られ、大理石の床の細工や天井のフレスコ画などが見事な兵器庫通路、シャンデリアが見事な食堂、オスマン帝国によるマルタ包囲戦を描いた12枚のフレスコ画が見事な最高評議会の間、「赤の間」とも呼ばれる大使の執務室、騎士見習いの控室が公開されています。
また、兵器庫(軍事博物館)には本物の甲冑や大砲が展示されている兵器庫には騎士団長ヴァレットの甲冑も展示されています。(議会会催中等、見学できない場合もありますのでご注意下さい。)

アッパーバラッカガーデン

アッパーバラッカガーデン(撮影:ユーラシア旅行社)

イタリア人のマルタ騎士団員によってイタリア騎士団員達の為に17世紀半ばに造られた広場で、現在は市民の憩いの場となっている公園です。この公園の展望台からは、グランドハーバー、マルタ騎士団がマルタで最初に拠点を築いたスリーシティーズなどが一望でき、展望台の下には500年の歴史がある礼砲隊の大砲を見ることができます。

聖エルモ砦と騎士団施療院

聖エルモ砦(撮影:ユーラシア旅行社)

聖エルモ砦は、ヴァレッタのある半島の先端にあった小さな砦があった場所に聖ヨハネ騎士団がオスマン帝国軍を迎え撃つべく本格的に建設された砦です。この聖エルモ砦は、1565年のマルタ包囲戦で激戦地となり、1か月にわたって攻撃を凌いだものの陥落してしまいましたが、この砦での必死の抵抗により援軍が間に合い、オスマン帝国軍に勝利をおさめ、騎士団はこの砦に軍旗を掲げたと伝えられています。第二次世界大戦で破壊されてしまったものの修復され、現在その一部は戦争博物館として公開されています。なお、この聖エルモ砦ではマルタ騎士団の軍事演習を再現した「イン・ガーディア」というイベントが行われており、開催日にあたれば必見です。(2022年1月現在、イン・ガーディアは新型コロナウィルス感染症の影響で休演中です。)

インガーディア(撮影:ユーラシア旅行社)

また、この聖エルモ砦のすぐ近くには、1575年に建てられた騎士団施療院があります。最大2,000人を収容することが可能で、負傷者を海からすぐに搬送できるよう港に面して建てられたこの施療院は、当時の地中海地域で最もすぐ優れた病院であったと言われています。現在は地中海会議センターとして使用されていますが、その内部には当時の騎士団施療院の様子を人形で模した展示室が設けられています。

中世の趣を色濃く残す「静寂の街」イムディーナ

イムディーナ・メインゲート(撮影:ユーラシア旅行社)

マルタ島のほぼ中央にある古都イムディーナ。このイムディーナは長きにわたってマルタの中心地として栄え、海まで見渡せる島の最高地点にあることから軍事的な要所でもあり、マルタ騎士団がヴァレッタを建設するまでマルタの中心地として栄えてきました。
16世紀に入り首都となると、20を超える貴族の館も立ち並んでいたといわれています。その後、ヴァレッタへ首都が移ったことで住人も減り、「静寂の町」と称されるようになりました。城壁に囲まれた町のメインゲートは、1724年に当時の騎士団長によって築かれたものでこのメインゲートにはその騎士団長の一族の紋章やマルタの守護聖人の彫刻が施されています。メインゲートをくぐると狭い路地にマルタストーンの建物が並ぶ中世そのままの趣ある佇まいで狭い路地の散策などが楽しめます。

イムディーナの路地(撮影:ユーラシア旅行社)

騎士団が最初に拠点を築いたスリーシティーズ

聖アンジェロ砦(撮影:ユーラシア旅行社)

スリーシティーズとはセングレア、ヴィットリオーザ、コスピクワの3つの街の通称で、ヴァレッタの対岸にある騎士団が最初に拠点を築いた歴史あるエリアです。ヴィットリオーザの先端には、マルタ騎士団が建設した要塞でマルタ包囲戦で重要な役割を果たした聖アンジェロ砦があり、2016年に大規模修復工事が終わり一般に公開されています。また、セングレアの港に面したガーディヨーラ公園からはグレートハーバーを隔ててヴァレッタの町を望むことができます。

セングレアの監視塔(撮影:ユーラシア旅行社)

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