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メドゥーサとは?怪物神話から守護神としての信仰までを解説。

2023 9/08
目次

メドゥーサとは、その起源と神話

レプティス・マグナ遺跡のメドゥーサ彫刻(撮影:ユーラシア旅行社)

メドゥーサの起源は大地母神だった?

元々はギリシャ人が来る前の小アジア(現トルコ)を中心に地母神として信仰もされていたメドゥーサですが、ギリシャ神話の到来によってその地位はデメトルやアルテミス他に奪われ、神から現在定着している怪物のイメージを着せられるようになったという見方もあります。

メドゥーサが怪物になった理由

怪物になったメドゥーサの神話も複数ありますが、広く知られて定着しているのはゴルゴン三姉妹の三女として生まれ、女神アテナの聖域で海神ポセイドンと交わったが為にアテナの怒りを買い、自らも誇っていた美しい髪を蛇に変えられ、あまりの醜さにメドゥーサを直視した者は石化させられる怪物と化します。

初期のメドゥーサのレリーフ(c)Shakko(CC BY-SA 3.0)

紀元前5-4世紀頃、ギリシャ神話に怪物として登場し始めたメドゥーサは上の彫刻のようにその醜さが強調された姿で描かれる事がありました。しかし元々地母神として信仰され、後述するようにお守りとしての信仰が定着するにつれ、美女であった姿で描かれるのが主流になっていきます。

カラヴァッジョ『メドゥーサ』(フィレンツェ/ウフィツィ美術館所蔵)

ペルセウスのメドゥーサ退治

アントニオ・カノーヴァ『メドゥーサの首を持つペルセウス』(ニューヨーク/メトロポリタン美術館所蔵)

母ダナエを狙うセリフォス島の王ポリュデクテスによって生還が困難なメドゥーサ退治を命じられたペルセウスは女神アテナから盾を借り、ヘルメスの羽の付いた靴やハデスの兜など神々の助力も得て、見事にメドゥーサの退治に成功しました。

ジャン=マルク・ナティエ『メドゥーサの首でフィネウスを石化させるペルセウス』(フランス/トゥール美術館所蔵)

メドゥーサの石化能力は首を切られても生きており、ペルセウスは何度か敵対する相手にメドゥーサの首を向け、石化させています。上のジャンマルク・ナティエの絵では、ペルセウス(画面中央)が救出したアンドロメダとの婚礼を邪魔しに来たフィネウスにメドゥーサの首を向け、石化させています。注目はペルセウスの背後(絵では右側)に描かれている女神アテナの盾にもメドゥーサの顔が描かれている事です。

怪物メドゥーサの名誉回復!?とイージスの盾

ペトロ・パウロ・ルーベンス『パリスの審判』(ロンドン/ナショナル・ギャラリー所蔵)

女神アテナは元々ゼウスから与えられた盾アイギスを持っていましたが、ペルセウスが献じたメドゥーサの首をアイギスに取り込み、防御力を強化しました。アイギスは英語ではイージスと読み、イージスの盾は伝説的防具としてアテナと共に描かれるようになります。(ミサイル防衛のイージス艦の名前もこの盾に由来しています)
上のルーベンスが描いた有名な『パリスの審判』でも一番左のアテナの後ろにメドゥーサがはめ込まれたイージスの盾が描かれています。

オーストリア国会議事堂前のアテナ像(c)Anton-kurt(CC BY-SA 3.0)

また、盾だけではなく、お守りである事から転じて、アテナの胸元にメドゥーサが織り込まれた姿で描かれるようにもなります。ウィーンのオーストリア国会議事堂前に建つアテナ像にもメドゥーサの姿が確認できます。

こうしてメドゥーサはその地位を復権し、地中海にローマが台頭する紀元前1世紀頃には、メドゥーサは忌み嫌われる怪物よりもお守りとしてのご加護を願う対象としての方が存在感が強かったのかもしれません。後ほど紹介するように女神アテナからも切り離されてメドゥーサの顔だけで厄払いやご加護があるように信仰されるようになっていったのです。

ヴェルサーチのお店とロゴ(c)Bahar(CC BY-SA 3.0)

メドゥーサ信仰が今日でも息づいています。イタリアのファッションブランドとして著名なヴェルサーチは、ロゴにメドゥーサの頭部その物を利用しています。

メドゥーサに出会える場所

メドゥーサは守護的な願いを込めて信仰されるようになった為、古代ギリシャ・ローマの史跡の装飾にも登場します。そんな中で特に注目すべきメドゥーサが見られる場所をご紹介します。

ナポリ考古学博物館(イタリア)

アレクサンドロス大王(イッソスの戦い)のモザイク(ナポリ考古学博物館所蔵)(撮影:ユーラシア旅行社)

ポンペイやエルコラーノ等ヴェスヴィオ山の噴火で埋もれていて保存状態の良い出土品が並ぶナポリ考古学博物館。アレクサンドロス三世(大王)の肖像としても世界的に知られ、日本でも歴史の教科書で目にした方も多いポンペイ出土の『イッソスの戦い』のモザイクはその代表の一つですが、このモザイクのアレクサンドロス部分を拡大すると、胸元にあのメドゥーサがいます。これはアテナのスタイルを模したもので守護神のようなモチーフとして飾られています。

同じ博物館には、メドゥーサが刻まれたアテナ像もあります。いずれも古代ローマ時代の作品で、当時胸元のメドゥーサが定着していた事が伺えます。

女神アテナの像(ナポリ考古学博物館所蔵)(撮影:ユーラシア旅行社)

ディディム遺跡(トルコ)

ディディム遺跡のアポロン神殿(撮影:ユーラシア旅行社)

トルコ南東部に位置するディディム遺跡は、この地域が古代ギリシャ文化圏に属していた頃から神託の聖地として栄え、巨大なアポロン神殿が建っていました。現在でもこの神殿跡を見学する事が出来ますが、この神殿を飾っていたメドゥーサの彫刻もきれいに残っています。神殿自体の守り神として飾られていたのではないかと推察されます。

アポロン神殿のレリーフ(撮影:ユーラシア旅行社)

困惑しているようにも見えるメドゥーサですが、眉を寄せて邪悪や厄を睨んでいるのかもしれません。

メドゥーサのレリーフ(撮影:ユーラシア旅行社)

イスタンブールの地下宮殿(トルコ)

地下宮殿(撮影:ユーラシア旅行社)

イスタンブール旧市街中心部に位置する巨大地下貯水池の跡である地下宮殿。ビザンチン帝国時代の6世紀半ばに建造され、市外から引いてきた水を貯めて市内に供給していました。この地下宮殿の名物が柱の台になっているメドゥーサです。

地下宮殿のメドゥーサ像(撮影:ユーラシア旅行社)

暗闇の宮殿の中にひっそりと浮かび上がるメドゥーサの顔は象徴的で、『ダ・ヴィンチ・コード』で知られるダン・ブラウンのラングドン教授シリーズでも『インフェルノ』の最終シーンで登場します。

地下宮殿の最奥部にあるので、見学した際にも印象に残ります。このメドゥーサ像は元々は市内の別の場所の建築でディディムと同じようにお守りとして使われていたものをその後貯水池を建造する際に柱の台に転用したものです。一体は反対、もう一体は横になっている事に意味があるのかは不明ですが、キリスト教時代に入って異教の神への信仰は薄らいでいましたので、近隣の古代ローマ建築から集めた資材をランダムに組み合わせた結果ではないかと推察されています。

地下宮殿のメドゥーサ像(撮影:ユーラシア旅行社)

レプティス・マグナ遺跡(リビア)

レプティス・マグナ遺跡のフォーラム(撮影:ユーラシア旅行社)

リビア北西部に位置するアフリカ最大級の古代ローマ遺跡であるレプティス・マグナ。広大なこの都市遺跡の中心部には地元出身のセプティムス・セヴェルス帝が故郷に錦を飾る為に建造した巨大なフォーラム(広場)が建っています。中には商店街や講堂、柱廊の跡などが残っていますが、その柱廊の装飾に注目です。

フォーラム上部に並んでいたメドゥーサの頭像(撮影:ユーラシア旅行社)
メドゥーサが一杯(撮影:ユーラシア旅行社)

柱廊の柱と柱の間を繋いでいたアーチの上にメドゥーサの頭像が並んでいます。ここでもフォーラムの守護を目的に用いられたものと考えられていますが、数十ものメドゥーサ像が点在しており、また表情がそれぞれに異なるので面白いです。人々が親しみを抱いていた事がその表情から伝わってきます。

メドゥーサの頭像(撮影:ユーラシア旅行社)

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