ヒッタイトとは
ヒッタイトとは、現在のトルコ・アナトリア地方を中心に存在した文明と民族を指します。ヒッタイト王国は、紀元前1600年頃から紀元前1178年頃まで存在しました。ヒッタイト王国は、古代オリエント世界における重要な政治的・軍事的勢力であり、エジプトやメソポタミアの諸王国との間で外交や戦争を行いました。特に重要なことは、アナトリア地方で最初に鉄を使用した戦闘を行い、鉄器時代の到来に貢献したことでしょう。鉄器時代の初期に鉄を使用し、それによって他の文明と比べて軍事的な優位性を持ちました。
ヒッタイト人は、インド・ヨーロッパ語族に属する民族であり、彼らの言語であるヒッタイト語は、古代オリエント世界で使われていた楔形文字で記録されています。
ハットゥシャ
ハットゥシャは、古代ヒッタイト王国の首都であり、現在のトルコ中部アナトリア地方ボアズカレ(旧名ボアズキョイ)郊外に位置しています。ハットゥシャは、ヒッタイト王国の政治、宗教、文化の中心地であり、その遺跡は今日でも重要な考古学的な遺跡の一部です。この都市は紀元前17世紀ごろに建設され、城壁に囲まれ、宮殿や神殿、役所、住居、およびその他の施設が含まれていました。ハットゥシャの遺跡からは、ヒッタイトの楔形文字の記録や彫刻、宗教的な祭壇、王家の墓などが発見されており、古代ヒッタイト文化や彼らの社会構造についての貴重な情報を提供しています。1986年にハットゥシャは、「ハットゥシャ:ヒッタイトの首都」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
ヤズルカヤ
トルコの中部アナトリア地方のボアズカレ(旧名ボアズキョイ)郊外には、ヒッタイトの中心的な遺跡群が残されています。ヤズルカヤ(Yazılıkaya)は、ヒッタイト王国の聖域で、岩に刻まれた複数の神々の彫刻を見ることができます。特に有名なのは、岩の壁面に描かれた「大ギャラリー」と呼ばれる部分です。ここには、ヒッタイトの主要な神である天気(嵐)の神と妻の太陽神が描かれています。なかには神と対するヒッタイト王の姿が描かれています。
アスランテぺ遺跡
「アスランテぺ遺跡」(Aslantepe)は、古代ヒッタイト王国の支配下にあった紀元前4千年紀から紀元前1千年紀にかけて繁栄した主要都市の一つで、現在のトルコの町マラティヤ近郊に位置しています。ヒッタイト王国の主要な交易拠点の一つでもあり、近隣の地域との貿易や文化交流が盛んでした。この遺跡には、ヒッタイト王国の他の主要都市と同様に、城壁、宮殿、神殿、住居、商業施設などが含まれています。
イスタンブール考古学博物館
イスタンブールにある考古学博物館は、3つの建物(博物館)で構成され、分類された発掘品が各建物に振り分けられ展示されています。紀元前1274年にヒッタイトとエジプトとの間で起きたカデシュの戦い(Kadesh Battle)後に、両国間で締結された世界最古の和平条約「カデシュの和平条約」の粘土板は、古代オリエント博物館に展示されています。
カデシュの戦いとは、古代オリエントにおいて最も有名な戦闘の一つとされています。戦いの結果、両国は互いに相手の軍事力を認め、和平の必要性を感じ、和平条約が交わされました。この条約により、ヒッタイトとエジプトの国境が確定し、両国の外交関係が改善されました。このように、カデシュの和平条約は、古代の国際関係における重要な出来事であり、戦争の終結と両国間の平和の回復に貢献しました。
アナトリア文明博物館
トルコの首都アンカラにあるアナトリア文明博物館には、古代アナトリア地域の重要な文明に関するものが所蔵され、なかでもヒッタイトに関する遺物や彫刻などは多数展示されています。ヒッタイト関連の展示物には、鉄器のほか、ヒッタイトの王宮や神殿跡などで見つかった彫刻や楔形文字の記録、陶器などが含まれています。特に有名な展示物は、ボアズカレ(ハットゥシャ)などのヒッタイト関連の遺跡で発見された彫刻です。これらの彫刻には、ヒッタイトの神々や王たち、宮廷の生活などが描かれています。これらの展示物は、ヒッタイト王国の政治、宗教、文化がどのようなものだったかを現代の私たちに伝える重要な情報源といえます。