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世界最古の鉄器を発掘!歴史を塗り替え、更新していくカマン・カレホユック遺跡(トルコ)

2021 7/29
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文明の痕跡が凝縮したアナトリア地域

カマン・カレホユック(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

アナトリアとは、現在のトルコ全域にあたる地域の名称です。ギリシア語に由来する古い呼び名で、考古学ではこちらの名称が一般的に使われています。ヨーロッパとアジアをつなぐ場所にある国であるトルコには、青銅器時代、鉄器時代、ローマ帝国、ビザンツ帝国、セルジューク朝、オスマン帝国と、人類の歴史を画する多くの文明の足跡が残されています。アナトリアは、世界でも有数の、多様な歴史の痕跡が高密度に堆積された地域なのです。

カマン・カレホユック遺跡とは

カマン・カレホユック北側から(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

カマン・カレホユックは、トルコの首都アンカラの南東約100キロにある、複数の歴史年代の文化の痕跡が残る遺跡です。その名前の「カマン」は遺跡がある小都市の名前、「カレ」は城塞、「ホユック」は遺丘を意味しています。石や日干しレンガを使用した家屋で生活するこの地域では、世代が交代する際に古い家を解体してその建材で土地をならし、同じ土地に新しい家を建てていきます。広大なアナトリア高原にある丘のように見えるこの地形は、人々が世代を越えてこの地に生きてきた証なのです。

カマン・カレホユック遺跡の発掘の歴史は長く、中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所長の大村幸弘氏を中心として、1986年から現在に至るまで発掘調査が続けられてきました。その成果によって、この「丘」には、実に5,500年にもわたる文明の痕跡が眠っていたことが明らかにされたのです。

カマン・カレホユック遺跡への行き方、アクセス

イスタンブールから空路でアンカラ・エセンボア空港に移動し、空港からカマンまでメトロ社のバスが運行しています(所要約1時間45分)。バス下車後は、カマンのオトガル(バスターミナル)でドルムシュ(乗合バス)に乗り換えるか、もしくはタクシーでの移動となります。

歴史を塗り替える鉄器の発見

古代の時代区分が「青銅器時代」「鉄器時代」と、金属利用によって分けられていることが示すとおり、金属利用は武器や生活の道具として、人類の歴史において非常に重要な意味を持ってきました。プロイセンの政治家ビスマルクが「鉄は国家なり」と語ったと言われるとおり、鉄の重要性は近現代に至っても変わることがありません。鉄の利用は、人類史における最大級の発明の一つだと言えます。そして、このカマン・カレホユック遺跡こそ、鉄の利用における歴史の通説を覆す発見があった場所なのです。
従来、鉄の利用はヒッタイトの時代に始まり、ヒッタイト帝国は製鉄技法を独占して繁栄したと言われてきました。しかし、カマン・カレホユック遺跡の発掘調査で、ヒッタイトの時代より約千年も前の地層から、鉄器と製鉄の証拠となる鉄滓(鉄かす)が発見されたのです。さらに、その鉄の組成を調べると、地元で産出される鉄鉱石ではなく、遠方から持ち込まれた可能性が高いことも明らかになりました。
製鉄技術はヒッタイトの時代以前から存在していた──カマン・カレホユック遺跡での発見により、歴史の記述は更新されたのです。

発掘作業の様子(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

文化編年という挑戦

出土した土器の復元(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

カマン・カレホユック遺跡の発掘調査を主導する大村幸弘氏が調査の主要な目的として掲げているのが「文化編年の構築」、つまり「年表づくり」です。年表というと、歴史の教科書に載っている、固定されたものという印象をもつ方が多いかもしれません。しかし本来は、歴史学上の新たな発見に応じて更新されていくものなのです。そして、年表を再構築するという作業の鍵となるのが、史跡から発掘される一次資料。考古学の調査では、研究者が仮説やテーマをもとに発掘資料を吟味し、不要なものは廃棄してしまうことも多いのですが、カマン・カレホユック遺跡の調査では出土した資料はすべて保存するという方針を掲げています。現代の研究者の歴史認識を元に発掘資料を評価して選別する方法は、資料が語る生の歴史を、時に聞き逃してしまう恐れがあるためです。
カマン・カレホユック遺跡の調査研究は、毎年出土する膨大な遺物を整理して後世の研究のために保存するという、壮大な挑戦をしているのです。

地域に根ざした研究拠点

カマン・カレホユック考古学博物館の正面入り口(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

出土するすべての遺物を保存するという試みの実現には、資料の保存・研究のための施設が必要となります。カマン・カレホユック遺跡の調査研究がすごいのは、そのための「アナトリア考古学研究所」を作ってしまったこと。
研究所には、松や楓が植えられた本格的な日本庭園「三笠宮記念庭園」が隣接しています。さらに、日本のODA(政府開発援助)とアナトリア考古学研究所の全面的な協力により、カマン・カレホユック遺跡の出土品を展示するトルコ国立の博物館、「カマン・カレホユック考古学博物館」が2010年にオープンしました。丘状の遺跡の形を模した外観がとてもユニークな博物館です。

秋の三笠宮記念庭園(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

アナトリア考古学研究所とカマン・カレホユック考古学博物館は、今や地域の文化活動の拠点となっています。地域住民やその子どもたちが、地元で出土した遺物を通して、歴史や考古学を学べる場所になっているのです。出土品を展示するだけでなく、村の子どもたちを対象にした講演会や、博物館の活動を実地に学べるフィールドコースを開催するなど、数多くの試みを通して、地域の文化拠点として大きな存在感を放っています。

カマン・カレホユック遺跡の発掘は、これからも数十年に渡って続けられる現在進行系のプロジェクトです。今後、発掘調査はより古い時代の地層へと進められていきます。そのなかで、歴史を塗り替える新たな発見があるかもしれません。カマン・カレホユック遺跡は、これからも要注目の考古遺跡なのです。

子どもたちに博物館を案内する大村幸弘氏(写真提供:(公財)中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)

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