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バロック光と影の巨匠カラヴァッジョの人生と作品を辿る旅(後編)

2021 9/06
目次

カラヴァッジョとは、カラヴァッジョを巡る

オッタヴィオ・レオーニによるカラヴァッジョの肖像画

本名はミケランジェロ・メリージ。1571年生まれ、1610年没。ルネサンスの栄華が色褪せ始めた時代に彗星のごとく現れ、明暗を駆使したキアロスクーロでドラマ性に富んだ作品を描き、バロック絵画の時代を切り拓いた画家です。イタリアのみならず、レンブラントやベラスケスなどバロックの時代を牽引して行く画家たちにも多大な影響を与えました。

バロック絵画の時代を切り拓いた巨匠カラヴァッジョの芸術と名声は現代においては確立されており、この記事ではその芸術性よりも作品を鑑賞する旅にご案内します。作品の写真も絵画そのものではなく、絵画の周囲も含めた形をできるだけ多く含めてご紹介しております。特にカラヴァッジョが約400年前に作品を飾った同じ場所にそのまま展示されている各礼拝堂の作品は、周囲の形や装飾、そして光とともにあってこそ、カラヴァッジョの目指した境地が見えてくるのかもしれません。この記事ではローマを逃れた後のナポリ、マルタ、シチリア時代の足跡と作品をご紹介します。

バロック光と影の巨匠カラヴァッジョを巡る、作品鑑賞の旅(前編)はこちら

ローマ時代の栄光の終焉、カラヴァッジョが殺人を犯した場所

鮮やかな光と影のコントラストが生み出す劇的な作品がローマで旋風を巻き起こしたカラヴァッジョ。画家としてのきらめく名声の傍らで、私人としての素行は悪く、1606年5月29日にテニスを巡る乱闘の末にかねてより不仲であったラヌッチョ・トマッソーニを殺してしまい、ローマから逃亡せざるを得なくなりました。上部の地図と下部の写真はカラヴァッジョが犯した殺人の現場であるPallacorda通りを示しています。写真左側の駐車場がある場所に現場の屋内テニスコートがあったと言われています。ちなみに通りの名であるPallacordaはイタリア語でテニスを意味します。

カラヴァッジョが殺人を犯したテニスコートがあった場所(撮影:ユーラシア旅行社)

南のスペイン領ナポリで再起

殺人によって指名手配犯になったカラヴァッジョは、しばらく地方に潜伏した後、南のナポリへ移動しました。ナポリはローマから僅か200kmしか離れていないものの、長らくスペインに支配されており、ローマからすれば文字通り外国という事で、身の安全がある程度担保できるようになり、カラヴァッジョはこの地でも旋風を巻き起こします。

ナポリ歴史地区の路地にて(撮影:ユーラシア旅行社)

ピオ・モンテ・デッラ・ミゼルコルディア聖堂

八角形のピオ・モンテ・デッラ・ミゼルコルディア聖堂内部、正面奥がカラヴァッジョ作品(撮影:ユーラシア旅行社)

ナポリ歴史地区の中心部の一角に佇む ピオ・モンテ・デッラ・ミゼルコルディア聖堂。カラヴァッジョのナポリ時代の傑作「慈悲の七つの行い」は、今もカラヴァッジョの時代と同じ場所に飾られています。喧噪に湧くナポリ旧市街から静かなこの聖堂に入ってカラヴァッジョのこの大作と向き合うと、慈しみの行動を描いたこの作品のメッセージが直に伝わって来るでしょう。

ピオ・モンテ・デッラ・ミゼルコルディア聖堂の「慈悲の七つの行い」(撮影:ユーラシア旅行社)

カポディモンテ美術館

ナポリ市内を見下ろす丘の上に建つ美術館。元々市内の別の教会に飾られていたカラヴァッジョの「キリストの鞭打ち」が保存上の理由でこの美術館に移され、展示されています。

逃亡の果てに辿り着いたマルタ島

マルタの中心、城塞都市ヴァレッタ(撮影:ユーラシア旅行社)

ナポリで成功を収めたのも束の間、カラヴァッジョはさらに南下を続け、地中海に浮かぶマルタ島に辿り着きます。そこでマルタを治める聖ヨハネ騎士団の庇護を受け、ここでも傑作を生み、騎士の位を得る事が出来ました。しかしながら例によって素行の悪さが災いし、他の騎士と喧嘩して重傷を負わせた罪で収監され、その後脱獄して島を去る事になります。

聖ヨハネ大聖堂

大聖堂のオラトリオを飾る「聖ヨハネの斬首」(c)Andrew Milligan sumo

マルタ島の城塞都市ヴァレッタの中心に位置する聖ヨハネ大聖堂はちょうどカラヴァッジョが訪れる少し前に完成しました。騎士団の依頼で描き、カラヴァッジョの最高傑作のひとつに数えられる「聖ヨハネの斬首」、カラヴァッジョを保護した騎士団長ヴィニャクールをモデルにした「聖ヒエロニムス」を収蔵しています。

騎士団長をモデルにした「聖ヒエロニムス」

旧友を頼ってシラクーサへ

ディオニュシオスの耳と呼ばれる古代からの石切り場の入口(撮影:ユーラシア旅行社)

脱獄後にマルタを脱出したカラヴァッジョが目指したのは、ローマ時代の友人マリオ・ミンニーティ(「果物籠を持つ少年」「占い師」「聖マタイ伝」等数多くの作品でモデルを務めた)が暮らすシチリア島のシラクーサでした。シラクーサの名所の一つに「ディオニュシオスの耳」と呼ばれる場所がありますが、カラヴァッジョが名付けたという逸話が残っています。

ベッローモ宮州立美術館

「聖女ルチアの埋葬」

シラクーサの中心オルティジア島の先端近くに位置する美術館。元々新市街側にある聖ルチア・アル・セポルクロ聖堂の祭壇を飾っていた「聖女ルチアの埋葬」が展示されています。

メッシーナの寄り道

メッシーナの中心ドゥオモ広場(撮影:ユーラシア旅行社)

ミンニーティと共にシラクーサからメッシーナへ移動したカラヴァッジョは、晩年のより暗闇の深い作品を二点残しました。元々作品が飾られていた教会は大地震に破壊されてしまいましたが、作品は難を逃れ、今日でも観賞する事が可能です。

州立美術館

「羊飼いの礼拝」(撮影:ユーラシア旅行社)

市の北部に位置する州立美術館は、地震の被害を免れたカラヴァッジョ最晩年の作品に属する「羊飼いの礼拝」「ラザロの蘇生」を収蔵。

「ラザロの蘇生」(撮影:ユーラシア旅行社)

パレルモ、そしてナポリから最期の地ポルトエルコレへ

シラクーサ、メッシーナを経てシチリアの都パレルモに辿り着いたカラヴァッジョは作品を描きましたが、盗難されて見る事は叶わず、最期の地ポルトエルコレに到着していた時の作品はボルゲーゼ美術館で紹介済ですので、ここでカラヴァッジョの人生と作品を辿る記事を終了します。
ベラスケスやレンブラントにも大きな影響を与え、美術史にその名を刻む光と闇の巨匠の足跡と作品を辿る旅、機会があれば是非お試しください。

カラヴァッジョ没後400周年(2010年)記念動画

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バロック光と影の巨匠カラヴァッジョの人生と作品を辿る旅(前編)はこちら

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