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禅の世界へ、曹洞宗大本山、永平寺(福井県)

2023 4/10
目次

永平寺とは

現在も、多くの雲水が修行する永平寺(撮影:ユーラシア旅行社)

鎌倉時代初期に開創された曹洞宗の大本山・永平寺。開基は道元禅師。比叡山延暦寺や建仁寺で修行した後、お釈迦様からの正しい禅を学ぶため、宋へと渡り、帰国後は10年ほど過ごした京都において宋での修行で得た座禅の作法やありかたを書物に記しました。道元禅師が43歳のときに、越前(現在の福井県)へ招かれ、1244年(寛元2年)に傘松峰大仏寺を開き、その2年後に吉祥山永平寺と改称。坐禅そのものを仏法として重んじる永平寺は、仏道修行の根本道場として、開創から現在に至るまで、日夜、修行僧(雲水)の方たちが厳しい修行に励んでいます。

永平寺で拝観ができるところ

修行僧(雲水)の修行場の中心(根本道場)となる七堂伽藍には、①山門 ②仏殿 ③法堂が、山の斜面に下から上へと一直線上に並び、①山門の東に⑥浴室、西に⑦東司(トイレ)、②仏殿の東に④大庫院(台所)、西に⑤僧堂が配され、それぞれが廊下で繋がり回廊のようになっています。七堂伽藍は、山の斜面に建てられていますので①山門→②仏殿→③法堂に向かうには、階段で建物を上がっていくことになります。ここも修行僧(雲水)の修行場なので、僧堂と浴室は立ち入ることができません。また、境内には70余りもの殿堂楼閣が建ち並んでいますが、一般に拝観できる箇所は限られています。

七堂七堂伽藍を繋ぐ回廊の階段(撮影:ユーラシア旅行社)

山門

修行の始まりと終わりを見届ける山門(撮影:ユーラシア旅行社)

修行僧(雲水)が永平寺へ修行に入る際に、最初に足を踏み入れることになる重要な門。また修行僧(雲水)も、ここを通ることができるのは入門のときと修行を終え永平寺を去るときの2回だけ。一般参拝客は通ることはできませんが、回廊から見ることはできます。

仏殿

三世仏(三世如来)が祀られる仏殿(撮影:ユーラシア旅行社)

七堂伽藍の中心にあたる建物。1902年(明治35年)の改築で、屋根は中国宋時代様式の二重屋根造りになっています。須弥壇と呼ばれる壇の中心には本尊の「釈迦牟尼仏」(お釈迦様)、右に「未来弥勒仏(弥勒菩薩)」、左に「過去阿弥陀仏(阿弥陀菩薩)」の三世仏(三世如来)が祀られています。

法堂

天蓋の八葉蓮華鏡が美しい(撮影:ユーラシア旅行社)

1843年(天保14年)に改築された禅師様の説法道場(一般の寺院でいうと本堂)。朝のお勤めなど各種法要がこの建物で行われます。

承陽殿

日本曹洞宗の聖地にあたる承陽殿(撮影:ユーラシア旅行社)

永平寺開山の道元禅師を奉祀する真廟。また道元禅師以下第5世までの住職の像、永平寺歴代住職の位牌や全国の曹洞宗寺院住職の位牌が安置されています。日本曹洞宗の発祥の根源、曹洞宗の聖地ともいわれる重要な建物です。そのため、部屋のなかには入ることはできず、部屋の外廊下から拝観するのみとなります。

傘松閣

230枚の天井画が美しい(撮影:ユーラシア旅行社)

内部拝観の際に、入り口となる吉祥閣と七堂伽藍の間にある建物2階には、修復(*)の手がはいった1930年(昭和5年)建築当時の天井絵230枚を156畳敷きの大広間にて見ることができます。別名「天井絵の大広間」と呼ばれ、1930年(昭和5年)当時の著名な画家144名により花や鳥などが描かれました。
*道元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として、1993年(平成5年)から2年の歳月をかけて再建。

大梵鐘

参拝客も鐘がつける寂光院の梵鐘(撮影:ユーラシア旅行社)

大晦日の夜の年越し番組「ゆくとしくるとし」で映される大梵鐘は、修行僧(雲水)の方のみが鐘を撞くことができます。鐘を撞くことも修行のひとつ。永平寺近くにある寂光院の梵鐘なら、一般参拝客も鐘を撞くことができます。

唐門(勅使門)

皇室から使者を迎える際に使われた門。普段は閉ざされ、現在でも皇族の方や新しい住職をお迎えするときに使用されます。大晦日の夜だけ一般にも開放されることがあります。

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