MENU

参勤交代にお輿入れ、大名・皇族から庶民が旅した中山道・木曽路の宿場町 ~奈良井・妻籠・馬籠 ~(長野・岐阜)

2021 6/22
目次

中山道の宿場町とは

江戸時代、幕府は江戸を起点とした各地を結ぶ5つの主要街道を整備しました。東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道は、総称して「五街道」と呼ばれました。この五街道に含まれる中山道(なかせんどう)とは、江戸と京都を結んだ街道で、全長132里(約550Km)の街道添いには69の宿場がおかれ、各宿場は多くの人で賑わいました。宿場には「本陣」という身分の高い大名や皇族が宿泊する建物と「脇本陣」という本陣の予備施設、家臣や一般人が宿泊する「旅籠」が設けられました。
中山道のなかでも贄川宿(にえかわじゅく)から馬籠宿(まごめじゅく)までの間にある11の宿場町は木曽にあるため“木曽路”とも呼ばれました。そのなかでも往時の姿を色濃くとどめる奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿をご紹介します。

同じように思えて、実は違う?!「木曽路」と「木曽街道」
木曽路:中山道のうち、第33宿の贄川宿から第43宿の馬籠宿までの区間を指します。
木曽街道:中山道の別称。

奈良井宿とは

奈良井宿(撮影:ユーラシア旅行社)
木曽路11宿の北(江戸側)から2番目、江戸の日本橋から数えて中山道の34番目に奈良井宿はあります。
中山道69次の中で最も標高の高い(940m)場所にある宿場町で、中山道最大の難所といわれた鳥居峠越えに備えて、多くの人がここで宿をとりました。街並みは約1kmに渡って細長く伸びている大規模なつくりで、 かつて「奈良井千軒」と謳われ木曽路随一の賑わいをみせていました。現在も宿場当時の姿を残した建物が街道の両側に建ち並んでいます。

奈良井宿の行き方・アクセス

奈良井宿は長野県塩尻市にあります。
電車の場合:最寄り駅は「JR奈良井駅」です。
東京方面からの場合:JR東京駅またはJR新宿駅から中央本線・あずさ(約2時間30分~3時間)で塩尻駅に向かい、各駅停車に乗り換えて約25分でJR奈良井駅に到着。
名古屋方面からの場合:JR名古屋駅から中央本線・特急ワイドビューしなの(約1時間30分)で木曽福島駅へ向かい、各駅停車に乗り換えて約20分でJR奈良井駅に到着。
JR奈良井駅からは、徒歩3分で奈良井宿に到着します。
車の場合
東京方面からの場合:中央自動車道(高井戸IC)から岡谷JCTまで約2時間10分。長野自動車道に入り塩尻ICを経由して国道19号で奈良井まで約45分。
名古屋方面からの場合:中央自動車道(小牧)から伊那I.Cまで約2時間。伊那ICから国道361号で約40分。

奈良井宿に行ったら絶対見逃せない観光スポット5選

奈良井木曽大橋

奈良井木曽大橋

奈良井宿に到着すると、まず樹齢300年以上の檜を使用した奈良井川に架かる橋を目にします。長さ33m、幅6mの太鼓橋で、奈良井木曽大橋と呼ばれ、1993年(平成5年)に架けられました。

江戸時代にタイムスリップ!奈良井宿の街並み

奈良井宿の街並み(撮影:ユーラシア旅行社)

宿場全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、建物の多くは1830年から明治初期に建てられたものです。

奈良井の建物

建物の大部分は中二階で、「出梁(だしばりづくり)造り」という一階より迫り出した二階部分が目を引く建物があります。また、二階正面に「袖うだつ(そでうだつ)」を持つ建物や京風の千本格子から木曽大工の腕と美意識が光る建物などがあることで変化に富んだ街並みが魅力。多くの家屋には越後谷、伊勢谷などと屋号が付けられているのも特徴で、多くの旅籠が現在も営業しており、レストランも古い家屋を利用している為、気軽に室内の雰囲気を楽しむことができます。

「袖うだつ」とは?
通りに面して連続的に建つ家同士が、袖うだつによって火災時の貰い火を防いだり、屋根伝いに泥棒が入らない防犯壁となります。

マリア地蔵尊のある大宝寺

大宝寺

大宝寺の境内には、江戸時代のキリシタン禁制時に、隠れキリシタンたちが信仰の拠り所とされていたと思われるマリア地蔵尊があります。マリア地蔵尊の胴体部分には、十字架を手に持つ幼子キリストの浮彫が見られますが、頭部や膝は破壊されています。長いこと地中に埋もれていましたが、昭和になってから発見され、大宝寺に祀られました。

水揚

街道沿いには山の清水を引く水場が点在していて、現在も奈良井で見ることが出来ます。水場は、長旅をする旅人にとっては貴重な水分補給ポイントでありました。現在も水場は綺麗に整備され、当時から現在においても喉の渇きを癒してくれます。

妻籠宿とは

妻籠宿(撮影:ユーラシア旅行社)

妻籠宿(つまごじゅく)は、木曽路11宿の1番南(京都側)、江戸の日本橋から数えて中山道の42番目にあります。
妻籠宿は中山道と飯田街道が交差する場所に位置し、古くから交通の要所として栄えました。しかし、明治以降の近代化への流れの中でも国道や鉄道が敷設されず町が大きく開発されることがなかったために、江戸時代そのままの雰囲気が色濃く残りました。また、木曽路の宿場としては珍しく大火を免れ、古い建物が多く残されており、日本で初めての街並み保存復元事業が昭和44年から48年にかけて行われました。奈良井宿とともに昭和51年に重要建築物群保存区に指定されました。

妻籠宿の行き方・アクセス

妻籠宿は長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)にあります。
電車の場合:最寄り駅は「JR南木曽駅」です。
東京方面からの場合:JR東海道新幹線で名古屋駅(のぞみ利用で東京駅から約1時間40分)に向かいます。
名古屋方面からの場合:JR名古屋駅から中央本線・特急ワイドビューしなのに乗り換えて約1時間でJR南木曽駅に到着。
南木曽駅から妻籠宿まではタクシー又はバスで10分、徒歩約40分で到着します。
車の場合
東京方面からの場合:中央自動車道(高井戸IC)から岡谷JCTまで2時間10分。長野自動車道を進み塩尻ICでおりて国道19号と256号を1時間50分進むと到着です。
大阪方面からの場合:名阪高速で小牧JCTへ行き、中央自動車道に入り中津川ICでおり、国道19号と256号を進み妻籠へ。合計約4時間。

妻籠宿に行ったら絶対に見逃せない観光スポット3選

脇本陣奥谷

脇本陣奥谷(撮影:ユーラシア旅行社)

脇本陣は、屋号を奥谷(おくや)といい、代々林氏が勤めてきました。この林家に、島崎藤村の姉が嫁いでいます。
現在の建物は明治13年明治天皇ご巡幸のに際し、京都から大工を呼び念入りに総檜造りで建て替えられたものです。
2001年(平成13年)に国の重要文化財に指定され、現在は博物館になり民俗資料や島崎藤村の文学関係資料などが展示されています。

桝形の跡が残る街並み

妻籠宿の風景(撮影:ユーラシア旅行社)

江戸幕府は主要街道の宿場の出入口や要所に、外敵からの侵入を阻む桝形を整備するように命じました。
必要な場合には、建造の知識や技術を指導し、建造費用も補助され、宿場に防衛設備を設けていきました。妻籠宿の桝形はもともと中世の妻籠城で用いられていたものを手本にし、往時の姿を良くとどめています。

桝形とは?
城郭や宿場町の入り口の道をまっすぐにせず、わざと道を直角に曲げ、それを連続させたりした菱形空間または箇所のことで、これにより外敵の侵入スピードを落とし、応戦態勢を整える時間を稼いだり、攻撃をしかけることができました。宿場町においては、外敵の侵入スピードを落とすという点で、わざと上がったり下がったりする坂や階段を設けているところもあります。

上嵯峨屋と下嵯峨屋

18世紀中期の木賃宿の上嵯峨屋と下嵯峨屋も見逃せません。旅籠は食事付きの宿屋ですが、木賃宿(きちんやど)は所持金が少なくて旅籠に泊まれない庶民が利用した大部屋(相部屋)で素泊まりという宿屋です。食事がつかないので、持参または購入した食材を木賃宿で自炊しました。宿で自炊した場合は燃料となった薪代(=木賃・木銭)は支払う必要がありました。この建造物は昭和43年~44年に解体・復原され、建造当初の形式をよくとどめ庶民の宿としての雰囲気をうかがうことができます。木賃宿があったからこそ、貧しい人たちも旅を続けることが出来ました。

馬籠宿とは

馬籠宿(撮影:ユーラシア旅行社)

馬籠宿(まごめじゅく)は木曽路11宿の1番南(京都側)、北から数えて最後となる11番目の宿で、江戸の日本橋から数えて中山道の43番目に馬籠宿があります。
西向きの斜面にへばりついた坂の町で、入口から出口まで一直線の急坂が特徴。明治と大正時代に発生した大火により江戸時代の建物はほとんど焼失しましたが、地元の人々の努力により昔のままに再建されました。

馬籠宿の行き方・アクセス

馬籠宿は岐阜県中津川市にあり、妻籠宿から約8.9km。
電車の場合
最寄り駅は「JR中津川駅」です。
JR名古屋駅から特急ワイドビューしなのを利用すると48分ほどで中津川駅に到着。
中津川駅からはバスで約30分、タクシーで約20分で到着します。
車の場合
各方面から中央自動車道で中津川ICまで行き、国道19号線を走ること約20分で到着します。

馬籠宿に行ったら絶対に見逃せない観光スポット

藤村記念館

昭和22年、戦後の混乱期に地元の「ふるさと友の会」の人々が中心となって作り上げた藤村記念館がこの町の誇りであり目玉です。島崎藤村の生家である馬籠本陣跡に建てられた藤村記念館に入ると朱色の扁額があり、そこには島崎藤村の文字で「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」と掲げられており、藤村がふるさとを想う心が切にあらわされています。自筆の原稿や初版本などが展示されています。

桝形の跡残る街並み

桝形の坂道(撮影:ユーラシア旅行社)

妻籠宿同様、馬籠宿にも桝形や防衛のために設けられた坂道をみることができます。明治時代に道路改修により消滅しましたが、昭和60年代に復元されました。写真奥に見える階段の道が旧道。

大黒屋茶房

大黒屋茶房(撮影:ユーラシア旅行社)

馬籠宿散策に疲れ、休憩をとるなら大黒屋茶房がお勧め!大黒屋は本陣の隣にあり、江戸時代には酒造りを営む一方、木曽代官や美濃・尾張藩の金融御用も努め、島崎家と強い結びつきがありました。大黒屋の当主が1826年から14年間に渡り馬籠に起きた出来事を書いた「大黒屋日記」によると、馬籠は山間の僻地どころか天下の情報が行き交う場所であったことが描写されています。島崎藤村に「夜明け前」の執筆の意欲を駆り立てたのは、この「大黒屋日記」でした。

木曽路グルメとお土産

馬籠宿のお蕎麦屋さん(撮影:ユーラシア旅行社)

木曽路の宿場町を観光し、小腹が空いたら五平餅で小腹を満たしましょう。お店によってわらじ型や団子型等があり、味の違うタレがあるので、各宿場町で楽しむことができます。焼きたてを食べれば江戸時代の旅人気分に!?栗きんとんや手打ちそば、漬物、地酒等もあるので、おなかの空き具合にあわせて宿場グルメを楽しんでみましょう。 

団子型五平餅(撮影:ユーラシア旅行社)

奈良井宿周辺は16世紀末から始まる木曽漆器の産地であり漆器小物が多く販売しています。その他、木工芸品や“腹痛の妙薬”と親しまれてきた民間伝承薬「百草丸」もこの地方の特産品です。

東海・中部の旅行・ツアーはこちら

目次
閉じる