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空から眺める古の絶景、百舌鳥・古市古墳群(大阪)

2022 3/10
目次

百舌鳥・古市古墳群とは?

2019年7月に日本で23番目の世界文化遺産に認定された、百舌鳥・古市古墳群。古墳時代の最盛期、4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された古代日本列島の王たちの墓群です。百舌鳥古墳群は現存44基、うち23基が、古市古墳群は現存45基、うち26基が世界遺産に登録されています。

仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)(撮影:ユーラシア旅行社)

百舌鳥・古市古墳群はどこ?

百舌鳥古墳群

百舌鳥古墳群は大阪府堺市に分布しています。堺市は今も昔も港町として栄えています。埋め立てにより海岸線が遠のいたが、昔は仁徳天皇陵古墳や履中天皇陵古墳は海岸線の近くにあったといわれています。百舌鳥古市古墳群で最も有名な仁徳天皇陵古墳へのアクセスは、JR阪和線にてJR百舌鳥駅へ。そこから歩いて約500mで仁徳天皇陵古墳があります。車の場合には阪神高速15号境線「堺出口」より約10分です。

古市古墳群

古市古墳群は羽曳野市と藤井寺市に分布しています。大和川が大阪平野に流れ出すところに存在していました。古市古墳群へのアクセスは、JR大阪環状線、JR阪和線、大阪市営地下鉄御堂筋線の天王寺駅へ。そこから近鉄南大阪線近鉄大阪府阿部野橋駅より16分で近鉄土子ノ里駅へ向かいます。そこから徒歩約1kmで応仁店陵古墳に。車の場合には西名阪自動車道「藤井寺出口」から南へ5分です。個人で交通機関の手配や乗り継ぎなどが難しそうだな、と思われる人は、百舌鳥古市古墳群の訪問が含まれるパッケージツアーで行くというのもひとつの手段です。

百舌鳥・古市古墳群のみどころ、おすすめ観光

・仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)

クフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の一つと言われる第16代仁徳天皇陵古墳。
5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。その大きさは、墳丘は全長約486M、後円部径約249M、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されており、日本最大の前方後円墳で、甲子園球場12個分にもなります。
北の反正天皇陵古墳、南の履中天皇陵古墳とともに百舌鳥耳原三陵(もずのみみはらさんりょう)と呼ばれています。墳丘は3段に築成され、左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘りなおされたもの。円墳周囲には、「陪塚」と呼ばれる小型古墳10基以上も確認されています。約2.8kmの周遊路が整備されており、徒歩で一周するには1時間かかります。

仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)(撮影:ユーラシア旅行社)
仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)(撮影:ユーラシア旅行社)

・応神天皇陵古墳(古市)

古市古墳群最大の大きさ。墳丘長さ425m、後円部直径250m、前方部の幅300m、高さ36m。仁徳陵に次いで二番目の大きさを誇ります。墳丘の体積(143万㎥)は国内第1位です。墳丘の周囲に二重の濠と堤をもっています。
墳丘や濠からは円筒埴輪や形象埴輪がみつかっており、応神天皇陵古墳には1万8千本以上の円筒埴輪が並べられていたと推定されています。築造時期は5世紀前半といわれています。

応神天皇陵古墳(古市)(撮影:ユーラシア旅行社)
応神天皇陵古墳(古市)(撮影:ユーラシア旅行社)

・白鳥陵古墳(古市)

日本書紀や古事記に記されている英雄、日本武尊の墓と伝わっています。日本武尊は第12代景行天皇の皇子で大和政権初期の英雄です。墳丘規模は墳丘長200m、後円部直径106m、前方部幅165mに及びます。3段に築かれ、平坦部には隙間なく円筒埴輪が並べられていたとされています。
日本書紀などによると「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野で亡くなり白鳥となって大和琴弾原を経由して古市に飛来し、また埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられ、羽曳野市の名前の由来となっている古墳です。

白鳥陵古墳(古市)(撮影:ユーラシア旅行社)

・赤面山古墳(古市)

西名阪自動車道の高架下にある赤面山古墳は藤井寺珍八景の一つとされている珍景です。古墳を破壊しないよう、橋桁が築かれて高速の高架下にある珍しい光景です。

赤面山古墳(古市)(撮影:ユーラシア旅行社)

百舌鳥古市古墳群の楽しみ方~セスナ遊覧飛行~

巨大な古墳は地上からみてもなかなか全体像が把握できません。せっかく百舌鳥古市古墳群を訪ねるのであれば、セスナ機に乗って上空から古墳の全体像を見るのもお勧めです。セスナ機は八尾空港から出発し、フライト時間は20分で百舌鳥と古市の古墳群上空を遊覧します。動画でその様子をお楽しみください!

百舌鳥・古市古墳群セスナ遊覧飛行(撮影:ユーラシア旅行社)

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