マダイン・サーレとは
マダイン・サーレはサウジアラビア北西部の砂漠に位置する古代遺跡。紀元前1世紀頃に、現在のサウジアラビア北部からヨルダン、シリア南部にかけて勢力を誇ったナバテア人達によって、南の都として築かれました。通商を通して富を築いたナバテア人達は優れた治水技術も有しており、砂漠での生活を可能にしました。紀元後1世紀末から2世紀初頭にかけてローマがナバテア王国を滅ぼして属州化すると同時にアラビア半島からレバント地方を通っていた南北の通商路が紅海貿易にとって代わられ、マダイン・サーレは歴史の表舞台から姿を消して行きます。
19世紀の考古学ブームに乗って、ペトラの発見後に類似した遺跡がある事を聞きつけた英国人のドーティが1876年に遺跡を再発見しました。20世紀初頭にはオスマン帝国のヒジャーズ鉄道がすぐ側に敷設され、さらに21世紀に入って遺跡はサウジアラビア初の世界遺産に登録されました。
マダイン・サーレへの行き方、アクセス
マダイン・サーレ観光の拠点となるのが、遺跡から約20km離れたアル・ウラの街です。便数は少ないですが、空港もあり、リヤドやジェッダから国内線も飛んでいます。車の場合は、ジェッダから約8時間です。ジェッダやリヤドからの長距離バスもあります。かなり不便な位置にあるので、マダイン・サーレまで訪れる場合はツアー利用がお勧めです。
マダイン・サーレ遺跡のみどころ4選
カスル・アル・ファリド
アラビア語で”孤独の城”を意味するカスル・アル・ファリドは、その名の通り周囲から独立した岩に築かれた墓です。4つの階層から構成されており、その大きさから富裕な人の墓であったと考えられています。下部の装飾は劣化ではなく、元々上方から建設を始めて下部が未完で終わったとみられています。卵状の岩を切り抜いた意匠は旅人を惹きつけずにはいられず、マダイン・サーレのシンボルとして必ず訪れるべき場所です。
カスル・アル・ビント
マダイン・サーレの中央部に佇むカスル・アル・ビントは、31の墓が連なる遺跡内最大級のネクロポリス(共同墓地)です。それぞれの大きさは比較的小さめなので中流階級の墓であったのではないかと考えられています。同じナバテア人の都市であったヨルダンのペトラでも見られる階段装飾が特徴的です。風化が進んでいますが、それぞれの入口の上には鷲や壺などのレリーフが刻まれていました。
ジャバル・アル・アフマル
マダイン・サーレの東側の外れにあるジャバル・アル・アフマルは、カスル・アル・ビントと同様のネクロポリスで合計19の墳墓が並んでいます。地表から上に入口があり、ファサード(前面)の装飾に乏しいのが特徴です。尚、マダイン・サーレの墳墓はここに限らず内部を覗けますが、ペトラと同様に内部は空で一室のみから構成されているお墓が大半です。
アル・ディワン
遺跡の入口からも遠くない奇岩地帯の中に現れるのがアル・ディワンです。ここは高さを持ってきれいに繰り抜かれた岩の内部三方にベンチも備えられており、お墓ではなく祭事用の空間として用いられていたと考えられています。外にはペトラにもある岩の裂け目の通路であるシークがあり、陽の光の具合によって岩の色が美しく浮かび上がります。
マダイン・サーレ周辺のみどころ
ヒジャーズ鉄道駅跡
1906年にオスマントルコが帝国内の移動促進のメッカ巡礼の為に敷設したヒジャーズ鉄道。ダマスカス(現シリア)から聖地メッカを目指していましたが、完成されたのはメッカの北にある聖地メディナまでの約1300kmでした。アラビアのローレンスの中で爆破される鉄道として有名ですが、開通当時は大きな反響を呼んでいました。線路の経路は古代ナバテアの通商路と重なる部分も多く、マダイン・サーレに駅が出来たのも自然な流れでした。かつての車両や線路、さらに併設されている博物館には周辺の歴史や展示等があります。
エレファントロック
その名の通り、象のような形をした岩である事から名付けられました。独立した岩が自然に削られ、現在の形になりました。地表からの高さは52mにも及び、大迫力です。
マラヤ・コンサートホール
マラヤとはアラビア語で鏡の意味。マダイン・サーレ近郊の奇岩地帯の中に突然現れる総鏡張りの建物は世界一鏡面を持つ建物としてギネス登録されています。内部はコンサートホールになっており、500名の観客を収容する事が出来ます。
サウジアラビアのオンライン説明会アーカイブ
協力:サウジアラビア政府観光局、エミレーツ航空