スプリットとは
クロアチア南部、アドリア海沿岸に位置するスプリットは人口約16万人を抱えるクロアチア第二の都市です。近くに造船所も抱えるクロアチア第一の港町として経済的な重要性も持ちながら、観光の側面からも世界文化遺産として、クロアチアの旅では外せない観光地の一つです。
スプリットの歴史は紀元前に建設された古代ギリシャの植民都市から始まりますが、本格的に周囲に認識されるようになったのは、近郊出身のローマ皇帝ティオクレティアヌスがこの地に宮殿を建ててからになります。(下復元図参照)。2世紀のパクス・ロマーナ(ローマの平和)が去って特に北方異民族の攻撃に悩ませられる古代ローマ帝国を一時的に立て直したディオクレティアヌスは、要塞化された宮殿を自身の故郷サロナに近いスプリットの地に、紀元後3世紀末頃に建てたのです。その後ローマ帝国衰退と共に宮殿も打ち捨てられましたが、内陸部を追われた人々が住むようになり、古代宮殿の中に中世の町が築かれていきます。
中世から現代にかけて支配者は目まぐるしく変わっていきますが、都市としては発展を続け、今日の活気溢れるクロアチア第二の都市になるに至りました。
ディオクレティアヌス帝
五賢帝が現れ、帝国全体に平和と繁栄が訪れた2世紀のパクス・ロマーナ後、斜陽化が始まった古代ローマ帝国。244年、ダルマチア州(現在のクロアチア海岸部)のサロナに生まれたディオクレティアヌスは一兵卒から軍人として叩き上げて行き、周囲の推挙も得て皇帝の地位まで上り詰めます。帝位に就くと、東西分割統治を採用し、また軍制改革も行って北方異民族とオリエント地域の列強の侵攻に悩まされていた古代ローマ帝国を一時的に建て直す事が出来ました。一方でキリスト教徒に対する厳しい迫害でも知られ、特にキリスト教徒が記した歴史においては、ネロと並ぶ暴君として描かれる事も少なくありませんでした。
3世紀以降のローマ皇帝の多くが短命でその名もあまり知られていませんが、ディオクレティアヌスは311年に亡くなるまで66年の生涯を全うし、その名も広く歴史に刻まれて残っています。
スプリットへの行き方、アクセス
スプリットは国際空港があり、大きい港もあるので、一部ヨーロッパ都市と空路、海路で結ばれていますが、クロアチアのその他の見どころと一緒に巡る場合は、陸路で首都ザグレブ(バスで約5時間)、ドブロヴニク(バスで約4時間)から移動する事が多いでしょう。
スプリットのみどころ、おすすめ観光
ペリスティル(ディオクレティアヌス宮殿中心部)
ディオクレティアヌス宮殿の中心部はペリスティルと呼ばれ、建設から1700年が過ぎた現在もそのままスプリット旧市街の中心として機能し続けています。なんとディオクレティアヌス宮殿の柱や破風等もそのままに使われており、そこに中世の増改築が加わり、さらに地下部を中心に現代の街も見られます。古代・中世・現代が同居するこの場所は世界でも稀有な構造と言えるでしょう。
旧市街はここから四方に広がり、ディオクレティアヌス宮殿の4つの門に至る道が現在も目抜き通りになっています。
大聖堂と鐘楼
ペリスティルに隣接するのが、スプリットの大聖堂と鐘楼です。大聖堂は街の守護聖人でもある聖ドムニウスに捧げられています。見どころは高さ57mを誇る鐘楼です。一般人も上る事が出来、頂上からはスプリットの町並みや港を一望する事が出来ます。
宮殿地下
ディオクレティアヌス宮殿には建設時から広大な地下空間が存在していました。地上部は古代と中世の融合が顕著にみられますが、地下部は近年洒落た店の出店が増え、古代空間の中に現代が共存する不思議な場所に生まれ変わっています。
魚市場
クロアチアと言えば、アドリア海の海の幸が有名です。旧市街の端には、スプリットの市場もあるので開かれている時であれば覗いてみるのもお勧めです。日本人好みの素材もたくさん並んでいて見る者の目を楽しませてくれます。
ナロドニ広場
ナロドニ広場はディオクレティアヌス宮殿部と市場の間に広がる賑やかな広場。テラスのあるカフェでお茶するのも良いかもしれません。宮殿外部になるので古代よりも中世から近代にかけての建築が多く見られ、素敵な小路も広場へ連なっています。
スプリットの夜景
スプリットのもう一つの楽しみは夜景です。統一感のある建物がライトアップされる姿は幻想的です。特に趣ある建物が並ぶ海岸線のライトアップされた街並みは見事です。治安も比較的良いので、夜の散歩もお勧めです。