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古代オリンピック発祥の地、オリンピア遺跡(ギリシャ)

2022 9/21
目次

オリンピアとは

ハナズオウが彩るオリンピア遺跡(撮影:ユーラシア旅行社)

古代オリンピックの発祥の地である、ギリシャのオリンピア。ギリシャ南部のペロポネソス半島西部に位置するオリンピアは、人口約1,300人の小さな町です。アルフィオス川とクラディオス川という二つの川に挟まれ、松やオリーブの緑豊かな風景に包まれています。

オリンピアは紀元前10世紀ごろから、全能の神ゼウスの聖地として栄えました。古代オリンピックは、ゼウス神へ捧げる大祭として始まったとされています。「オリンピアの古代遺跡」は、1989年にユネスコの世界遺産に登録されました。

オリンピアへの行き方、アクセス

オリンピアはギリシャの首都であるアテネから西へ約190kmほど、ペロポネソス半島西部に位置しています。オリンピアに行くには、アテネから長距離バスを利用するのが便利です。アテネのキフィスウ・ターミナルを出発し、途中、ピルゴスで乗り換えます。
アテネ〜ピルゴス間は約4時間30分。1-2時間に1本運行されています。ピルゴスからオリンピアへは45分程で到着します。バスは目抜き通りのプラクシテルス・コンディリ通りの南、市役所近くに到着。この通りを南に向かって歩いて行くと、左側にオリンピアの古代遺跡があります。
その他公共交通機関はないので、ツアーの利用もお勧めです。

古代オリンピックから近代オリンピックへ

古代オリンピックの起源と歴史

(C)Marie-Lan Nguyen

オリンピック競技の起源については、神話や伝承の中でさまざまな説が語られています。一説には、ヘラクレスが父神ゼウスを讃えて競技会を創始したという説。もう一説には、当時この地の君主であったオイノマトスに、戦車競走で勝利した英雄ペロプスに敬意を示して、ヘラクレスが創始したという説。また、直接の起源としては、紀元前8世紀に蔓延する疫病に悩んだ王イフィトスが、アポロンの神託を受け、当時ギリシャに多くあった都市国家(ポリス)間の争いをやめ、競技会を始めたという説が有力とされています。
オリンピック誕生当初は、競技として唯一短距離走のみが行われていました。回を重ねるごとに競技数は少しずつ増え、レスリングやボクシング、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳びなど、現在行われている競技の原型が生まれました。

オリンピック競技会に参加できるのは健康で成人したギリシア人の男子のみで、会場への女性・子供・奴隷の立ち入りは禁止されていました。また、不正を防ぐために全裸で競技が行われたとされています。394年に皇帝テオドシウス1世によって異教禁止令が出され、古代の祭典が禁じられたことにより、古代オリンピックは終わりを迎えました。

近代オリンピックの始まり

オリンピア遺跡のヘラ神殿(撮影:ユーラシア旅行社)

近代オリンピックが始まったのは、古代オリンピックが終わってから約1500年後、1896年のことでした。フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱に世界が賛同したことがきっかけであり、第一回はアテネで開かれました。以後、戦争により3度の中止があったものの、現在まで「平和の祭典」として続けられてきました。現在でもオリンピックの聖火は、オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火されています。

古代オリンピア遺跡の見どころ6選

オリンピアの古代遺跡は、古代、オリンピックが開催されていた場所です。394年に異教禁止令が出された際、この神域は破壊されてしまいます。また、6世紀中頃には大地震に襲われ、川の氾濫によって地中に埋もれてしまいました。19世紀に遺跡の発掘が行われ、この聖地と古代オリンピックについて、多くのことがわかってきました。

ギムナシオン(体育場)

ギムナシオン(撮影:ユーラシア旅行社)

遺跡の入り口すぐのところに見えるのがギムナシオン(体育場)の跡です。建物の中央に柱廊で囲まれた長方形の中庭があり、短距離走や円盤投げのトレーニングが行われていました。柱廊を形成していた円柱の下部が今でも残されています。ちなみにギムナシオンは現代のジムの語源です。

パレストラ(闘技場)

パレストラ(撮影:ユーラシア旅行社)

ギムナシオンに隣接して建っていた正方形の建物が、パレストラ(闘技場)です。レスリングやボクシングなどの格闘技と、幅跳びのトレーニングが行われていました。オリンピック参加者には、認定を受けるため、事前にギムナシオンもしくはパレストラでの合同練習が義務付けられていました。周囲を列柱で囲まれている様子が見て取れます。

ゼウス神殿

ゼウス神殿(撮影:ユーラシア旅行社)

ゼウス神殿は、紀元前470年〜紀元前456年に完成されました。長さは64m、幅は27m、そしてドーリア式の柱の高さは10m。アテネのパルテノン神殿に匹敵するほどの壮大な神殿でした。当時この神殿の中には、黄金と象牙で造られた、高さ13.5mのゼウスの巨像が安置されていました。像の作成者は大彫刻家であったフェイディアスで、オリンピアの遺跡内にはフェイディアスの仕事場の遺跡も残っています。

ヘラ神殿

ゼウスの妃であるヘラを祀った神殿です。ヘラ神殿の建立は前7世紀末まで遡り、ギリシアに残る神殿の中でも最古のものと言われています。ドーリア式の建築で、左右16本、前後6本ずつの円柱がありました。東京2020を含めた現在のオリンピックでも、ここヘラ神殿で聖火が採火されています。

スタジアム(競技場)

紀元前4世紀中頃に造られたとされるスタジアム(競技場)へは、前3世紀に築かれた通路を通ります。この通路はアーチ型の屋根で覆われていたとされ、現在でもその一部が残っています。スタジアム内に一直線に伸びているトラックは、、幅30m、長さ192.27m。スタートとゴールには目印として石板が並べられていました。現在でも白い石板が残っています。初期は北側のクロニオンの丘の斜面が観客席となっていましたが、ローマ期には南側にも観客席が造られました。
ちなみにスタジアムの語源は、競争が行われた競技場のトラックのスタディオンという距離に由来しています。

フィリペイオン

フィリペイオン(撮影:ユーラシア旅行社)

紀元前4世紀に、マケドニア王のフィリッポス2世により、カイロネイアの戦いでの勝利を記念して建てられた奉納モニュメントです。アレクサンドロス大王によって完成されました。18本のイオニア式の円柱に囲まれた円形の建物で、黄金と象牙で造られた一族の像5体が、内部に安置されていました。

オリンピア考古学博物館

ゼウス神殿の破風レリーフ (撮影:ユーラシア旅行社)

オリンピア遺跡の発掘品は考古学博物館で見ることができます。ゼウス神殿の破風レリーフやヘラクレスの12の偉業のレリーフ、勝利の女神ニケの像、赤子のディオニソスをあやすヘルメス像などの彫刻の他、神殿付近で発見された石器や陶器といった先史時代のコレクション、ブロンズコレクションが展示されています。

赤子のディオニソスをあやすヘルメス像 (撮影:ユーラシア旅行社)
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