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神宿る島・沖ノ島 「海の正倉院」と呼ばれる神宝を抱く宗像へ(福岡)

2021 4/30
目次

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群とは

大島の沖津宮遙拝所と玄界灘(ユーラシア旅行社撮影)

福岡県宗像市の沖合に位置する沖ノ島は、古代から崇拝の対象として「神宿る島」とされてきました。東アジアの海上交易や交流の歴史の中で発展しながらも、聖域として今日まで守られてきた沖ノ島は、古代から現代にいたるまでの祀事の貴重な遺跡や祭具、奉納物が手つかずの状態で伝わっています。沖ノ島を擁する宗像大社(本土にある辺津宮、沖合の大島にある中津宮と沖ノ島の沖津宮の総称)と、古代より宗像の発展と海運を担った宗像氏の墳墓である福津市の新原・奴山古墳群は2017年にユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

宗像大社への行き方

一般に宗像大社というとき、本土にある辺津宮(へつみや)をさします。宗像大社へは福岡の小倉や博多から鉄道でアクセスできるほか、福岡随一の繁華街・天神から路線バスの西鉄バスで向かうこともできます。交通安全の祈祷で訪れる人も多い神社ですので、自家用車でのアクセスにも対応しています。

各地から宗像大社へ
福岡一のターミナル駅である博多駅を拠点とするのが便利です。
博多駅へは新幹線や長距離バスが多数運航しています。空路の場合も福岡空港に到着後、地下鉄(10分ほど)で博多駅に向かいます。博多駅からはJR鹿児島本線で東郷駅へ移動。東郷駅から西鉄バスやタクシーで10~15分。バスの場合は、バス停「宗像大社前」で下車。

中津宮がある大島へ
大島へはまず宗像大社や東郷駅から西鉄バスやタクシーで「神湊波止場」へ向かいます。港からは客船やフェリーがあわせて一日7往復運航しています。乗船時間は15~25分です。

新原・奴山古墳へ
JR鹿児島本線の福間駅で下車、西鉄バスに乗り換えて移動します。バス停「奴山口」で下車後、徒歩15分。あるいは、福間駅みやじ口から発着する福津市のコミュニティバスふくつミニバスを利用し、バス停「昭和学園前」で下車後すぐです。

沖ノ島へは上陸が禁止されており訪れることはできません。

宗像三女神
宗像三女神とは3柱の女神で、もとは宗像(胸肩)の一族の祀っていた神々でしたが、宗像氏が朝廷から認められるようになると全国的に信仰されるようになり、現在では全国で6200社の神社に祀られています。
古事記や日本書紀の各書で名前や祀られている宮に差異があるものの(この記事では宗像大社のものをとっています)、三女神は天照大神が素戔嗚尊を疑い、素戔嗚尊が自身の潔白を証明するために行った誓約(うけい)の際に、天照大神が素戔嗚尊の剣から生み出しました。
天照大神の命で三女神は天皇家を支え朝鮮への道を示し航海の安全を守っています。

沖ノ島(おきのしま)沖津宮(おきつみや)

玄界灘にぽつんと浮かぶ沖ノ島。宗像大社の神湊(こうのみなと)の沖60km、福岡市街からは直線で77km、対馬の厳原から75km、朝鮮半島の韓国釜山からは145kmに位置し、島の周囲は約4㎞の小さな島で、島全体が宗像大社沖津宮の聖域です。
4世紀~9世紀ごろにかけて地元豪族・胸肩(むなかた・胸形・宗形とも)の海人たちの聖地として、また朝廷が朝鮮半島の国々や中国大陸の唐との関わりで胸肩氏を重用するにつれ全国的な信仰を集めるようになりました。胸肩の一族は航海の難所である玄界灘を知り尽くし、操船技術に長け、朝鮮半島の情勢にも詳しかったからです。
沖津宮の祭神は宗像三女神の一柱、田心姫神(たごりひめのかみ)。
沖ノ島は聖域として一般の立ち入りが禁じられ、また島で見聞きしたことを外で話すこともタブーとされ「不言様(おいわずさま)」と恐れ敬われてきました。沖ノ島の実情が明らかにされたのは昭和29年に本格的な学術調査が入ってからのことでした。
沖ノ島に観光で訪れることはかないませんが、チャーター船で許される距離まで近づき遠望することができます。
また辺津宮近くの「海の道むなかた館」には沖ノ島をヴァーチャルで体験できる施設もあります。

チャーター船で沖ノ島を望むクルーズへ(利用船一例)

大島・中津宮(なかつみや)と沖津宮遙拝所

沖津宮遙拝所(ユーラシア旅行社撮影)

宗像大社から船で15~25分の沖にある大島。周囲約15kmの小さな島に700人ほどの人が暮らしています。島の中心には小高い山があり森におおわれていて人が住むところは島の南側の港の周囲が中心です。大島は宗像三女神の一柱である湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る宗像中津宮(むなかたたいしゃなかつみや)があり、また、島の北側には沖ノ島を遥拝する沖津宮遙拝所があり天気のいい日にはここから沖ノ島を眺め祈りを寄せることができます。

宗像大社辺津宮(へつみや)

宗像大社辺津宮への参道(ユーラシア旅行社撮影)

宗像市内にあり、大社の施設の多くは辺津宮にあり初詣などで多くの人が訪れるのはこの場所です。宗像三女神の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀り、伊勢神宮の古い社殿を移築した第二社・第三社にはほかの2柱の女神が祀られています。
敷地内にある神宝館には沖ノ島の神宝(国宝8万点)が収蔵されていて、まさに海の正倉院という呼び名にふさわしい逸品が展示されています。

みあれ祭
沖ノ島と大島からそれぞれの女神の御神輿を船に載せ海上を渡り神湊から辺津宮まで迎える壮大なお祭りです。毎年10月の開催です。

新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)

宗像市の南隣の福津市に広がる5~7世紀の津屋崎古墳群。海岸沿いの東西2㎞・南北7㎞の地域に56基もの古墳が密集しています。この中で一番古いものが新原・奴山古墳群の22号墳で、このほか東西800mほどの台地に5基の前方後円墳を含む41基もの古墳が密集しています。
4世紀ごろから航海の腕により朝廷から認められた胸肩の一族が墓の主と思われ、大型の前方後円墳はその力が強まったことの表れと言えます。津屋崎古墳群からは沖ノ島の神宝とよく似た副葬品も出土していて両者の深い結びつきを今に伝えています。

胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)
胸肩一族の絶頂と言えるのが日本書紀にその名を遺す胸形君徳善の時代です。7世記の天武天皇の時代、徳善は娘の尼子娘を天武天皇に嫁がせ彼女は天武天皇の長男となる高市皇子(持統天皇の太政大臣として活躍。長屋王の父)を生んでいます。7世紀前半に作られた日本で2番目に長い石室をもつ宮地嶽古墳はこの徳善のものと考えられています。豪奢な副葬品も出土し「地下の正倉院」と讃えられています。しかしこのころ朝鮮半島での情勢不安などから遣唐使船のルートは南に変更され、朝廷における胸形の一族への重要性は次第に失われてゆきました。

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