ナセル湖とは
ナイル川の氾濫防止と渇水年の貯水量不足を解消するため、ナイル河を堰き止め建設されたアスワン・ハイダム(1971 年完成)によって誕生した面積5,250 km²(琵琶湖の約7.8倍)の人造湖が「ナセル湖」です。エジプトにおける商工業の中心都市アスワンの南から隣国スーダンの北端にまで広がっています。建設当時のガマール・アブドゥル・ナセル大統領の名前がつけられました。
このアスワン・ハイダム完成により南部から流れてくるナイル河がアスワンで堰き止められ水位が上昇し、ナイル河岸にあった村や遺跡は水没する危機に晒され、貴重な古代エジプトのヌビア遺跡を救出する世界的プロジェクトが発動、世界各国の支援により、現在のナセル湖岸にいくつかの遺跡が移築されました。
ナセル湖クルーズの航行路
ナセル湖岸にある遺跡を巡るナセル湖クルーズは、エジプト国内のアスワンからアブシンベルの間を航行します。アブシンベルは、隣国スーダンとの国境まで約50㎞に位置する空港を有するエジプト最南端の村です。ナセル湖クルーズは、アスワンまたはアブシンベルから乗船します。どちらの都市も空港がありますので、エジプトの国内線でカイロなどから空路で行くことができます。
ナセル湖クルーズ船は、いくつか船会社があり、ランクにより船内設備等が異なります。また、船着き場から直接乗降できるクルーズ船もあれば、テンダーボートで船着き場まで移動を要するクルーズ船もあります。
ナセル湖クルーズで見ることができる光景
ナセル湖クルーズ中にデッキから見える光景は、ナイル河クルーズで見える光景とは全く異なります。ナイル河クルーズでは、両岸に町々や葦などの植物が生い茂り、鳥が生息し、ときに子供たちが泳いでいる光景など、人々の営みや植物や鳥などの生命を感じる光景を見ることができます。
しかし、ナセル湖クルーズ中の光景はというと、砂漠の光景が続きます。エジプトは、日本の約2.7倍という国土をもちますが、その約95%が砂漠であり、ナセル湖周辺は地平線まで続く荒涼とした風景と木々の生えていない連続した小山といった砂漠地帯にあたります。その茫漠たる砂漠地帯は、寂しいものかというと、逆にどこまでも続く砂漠地帯と大量の水をたたえたナセル湖との対比や人が住まない砂漠地帯は、まさに人が立ち入らない自然の姿そのもので、“静”を帯びた砂の光景は、見る人の心にも“静”を与えてくれます。視界にはいる情報が少ない分、クルーズ船によっては、サンデッキにプールやラウンジチェア、バーがありますので、ゆったりとしたクルーズ滞在をお愉しみいただけます。
ニュー・カラブシャ(アスワン近郊)
カラブシャは、古代エジプトの豊穣神マンドゥリス(ヌビアの太陽神で、エジプト神のホルスにあたる)を祀る神殿があり、砂岩の採石場でもあった場所です。ここにある遺跡は、アスワンハイダム建設に伴う水没から免れるため、本来の場所からドイツの支援でナセル湖に浮かぶニューカラブシャ島に移築されました。
カラブシャ神殿
新王国時代・第18王朝にヌビアの豊穣神マンドゥリス(エジプトのホルス神にあたる)を祀るために建造。のちに後期プトレマイオス朝時代から古代ローマ帝国時代(アウグストゥス治世下)にかけ再建されました。ヌビア地方では、イシス神殿など同様の大神殿で、全長は77mもあります。
中庭と神殿内部にマンドゥリス神やイシス女神、供物を捧げる様子など綺麗にレリーフが残り、現在でも未解読のヌビア語が刻まれた柱などを見ることができます。
ベイト・エル・ワリ神殿
新王国時代・第19王朝ラムセス2世が建造した岩窟神殿。ラムセス2世の戦闘シーンのレリーフや交易品・貢物を運ぶ人々のレリーフ(牛・猿・キリンなど様々な動物、金の延べ棒・金袋など)、色がほんのり残るレリーフなどを見ることができます。この神殿は、スイスとシカゴの研究所による資金でポーランドの考古学チームによって移築されました。
獅子の谷ワディエルセブア
アスワンとアブシンベルとの、中間あたりに位置するワディエルセブアの遺跡。3つの遺跡が、水没から免れるために移築されてきました。ここでは、ワディエルセブア神殿からダッカ神殿まで、約1kmほどの距離があり、歩いていくか、現地のロバ馬車(有料)などに乗って移動します。道は土道ですが、舗装され歩きやすくなっており、ダッカ神殿の手前で少し坂を上ります。
ワディエルセブア神殿
ヌビア地方で2番目に大きな神殿で、新王国時代・第19王朝ラムセス2世によりアメン・ラーとラー・ホルアクティ神を祀るため建造。ヌビアやアッシリアの奴隷をつかって44年の歳月をかけ完成。古代ローマ時代には教会として利用されました。
神殿の参道と中庭には、ヌビア地方の特徴でぽっちゃり顔のラムセス2世の頭とライオンの身体があわさったスフィンクスと珍しいハヤブサ頭のスフィンクスを見ることができます。ラムセス2世像の足元にはヌビア人とアッシリア人の捕虜のレリーフがあり、内部では出入り口上部にスフィンクスのレリーフもあります。遺跡名のワディエルセブアは、「獅子の谷」という意味で、このスフィンクスが並ぶ様子からつけられました。
奥の至聖所には、黄色い色が残った聖なる船のレリーフが美しい状態で残っています。
ダッカ神殿
知恵の神トトに捧げられたダッカ神殿の建造者はというと、新王国時代・第18王朝トトメス3世またはハトシェプスト女王またはセティ1世(BC1500~BC1290)、もしくは3世紀のヌビア王による建造説など、いまだ不明です。プトレマイオス朝時代や古代ローマ時代(初代皇帝アウグストゥス、ティベリウス)による増築が施され、神殿入り口脇の美しい柱頭飾りを見ることができます。知恵と学問の神トトやライオン顔で湿気の女神テフヌートのレリーフが綺麗に残っています。
ヌビア地方で最も古い神殿が残るアマダ
アマダ神殿
新王国時代・第18王朝トトメス3世により建設が始まり、トトメス4世の時代に列柱室が加えられ、紀元前15~紀元前14世紀に完成した、太陽神(最高神)アメン・ラーとラー・ホルアクティ(太陽神+ホルス神)を祀る神殿です。ヌビア地方で最も古い神殿のひとつにも関わらず、状態が良いレリーフが残っています。
デール神殿
新王国時代・第19王朝ラムセス2世治世中のヌビア総督だったセタウにより、太陽神アメン・ラーを祀る神殿が造られました。レリーフには多くのラムセス2世にまつわるものを見ることができます。生命の木(=オリーブ)に囲まれるラムセス2世から、興味深いものでは豹の毛皮をまとう神官や葡萄酒など神に捧げる供物のレリーフ、聖なる船のレリーフなども見ることができます。
クルーズでしか見ることができないカスルイブリーム遺跡
もともと山の頂上に建っていた神殿であったことから、アスワンハイダムによる水没を移転することなく免れ、いまではナセル湖に浮かぶ島の上に建つ遺跡に見えます。カスルイブリームは、ヌビア地方の入り口にあたる場所であったことから、交易の拠点として栄えました。遺跡はイシス女神を祀る神殿として造られ、ローマ時代になると街を守るための要塞に改築され、コンスタンティヌスの時代には教会に、イスラム教徒がエジプトに入ってくるとモスクへと時代ごとに改築されてきました。
船上からパノラマで眺めるアブシンベル神殿
新王国時代の紀元前1300年頃、第19王朝ラムセス2世により,大小2つの岩窟神殿が造営されました。1813年に発見され、1909年に砂が完全に除去されました。しかし1960年代,アスワン・ハイダム建造による水没の危機に晒され、水没から免れるためにユネスコの遺跡救済キャンペーンが行われ、各国からの援助により、遺跡全体が西寄りの丘に移築されました。
アブシンベル神殿のすぐ近くや内部見学は、通常のツアーでも行くことは多いですが、それに加えてクルーズ船から全景を俯瞰して眺めると、また異なる感動があり、大神殿と小神殿を両方ともカメラにおさめることができます。アブシンベルからアスワンに向かってのクルーズに乗船すると、日の出の頃に出航するときもあるので、その際は朝日に照らされ紅く染まっていくアブシンベル神殿と砂漠から昇る太陽を見ることができ、太陽信仰の古代エジプトをより深く感じることができるでしょう。