ネフェルタリ王妃とは
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エジプトで最も偉大なファラオとされ、エジプト各地に神と自信の業績をたたえる数多くの巨大建造物を築いたラムセス二世。90歳で亡くなるまでに何人もの王妃や側室との間に100人以上の子を設けましたが、そんな数多くの王妃や側室の中で最も寵愛を受けていたのがネフェルタリ王妃です。
ネフェルタリという名前は「美が似合う者/美にふさわしい者」という意味で、その美しさから、古代エジプトでは愛と美の神として崇拝されていたハトホル神と同一視されて描かれていることもあります。ラムセル二世の間には7人の子宝に恵まれ、その長男はアメンヘルケプシェフです。また、ネフェルタリはヒッタイトの王妃に対して手紙を出すなど外交も行っていたことがわかっています。
ネフェルタリ王妃の墓へのアクセス
ファラオが埋葬されている王家の谷から1.5キロほど離れたファラオの妻が埋葬されている王妃の谷にネフェルタリ王妃の墓はあります。
ネフェルタリ王妃の墓
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ネフェルタリ王妃の墓は、1904年にイタリア人考古学者のエルネスト・スキャパレリによって発見されました。王妃の谷は石灰岩の質が良くなくプラスター(石こう)を厚く塗り、その上から壁画が描かれています。しかし石こうを厚く塗りすぎてしまい、壁画が剥落し始めたため、1950年代に壁画修復のために閉鎖されました。
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壁画の修復の際には上塗りなどは一切せず、内部のレリーフの色は当時のまま美しい状態です。壁画には死者の書(およそ200の呪文からなる葬祭文書)が書かれています。
ネフェルタリの墓もそのほかのファラオの墓と同じように盗掘にあっていますが、墓の内部でミイラの断片が見つかっており、分析の結果ネフェルタリのものであることがわかっています。
外編:ネフェルタリ王妃とアブシンベル小神殿
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ラムセス二世のネフェルタリ王妃への愛の大きさがよくわかるのが、有名なアブシンベル大神殿のそばに建てられたアブシンベル小神殿です。この小神殿はラムセス二世がネフェルタリ王妃に捧げた神殿と考えられており、ファラオであるラムセス二世とネフェルタリの像が交互に建てられています。王であるファラオと王妃がほぼ同格に扱われる大変珍しいことです。
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神殿内部の壁画には敵と戦っているラムセス二世を見守っているネフェルタリが描かれています。
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